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2005.07.14

音の感性 その脱線

いつもの年ならスクリャービン、モンポウ、ドビュッシー、ヴィラ=ロボスを弾きながら和音に対する耳が行き場をなくしている頃なのだが、今年は毎週メールチェックに時間を取られてピアノを弾かなくなってしまった。
シェルシを聞きながら、自分が考えていた「音」が違うように思えてくるのも面白く、毎日変容していくように感じている。

いつかは静かに音のない時間を過ごしたいのだが、貪欲が構築した未聴の山が圧力をかける。いやいや消化するまで何度も聞き直し、さらに思い出しては聞き直しながらゆっくりと理解を進んで行くのだから、生きてる内に聞き終えればよいのだろう。

シェルシを理解しだすと妄想と幻聴が走り出し、新たなカットアップが聞こえる。誰のどの曲かは解らないが、猛然と突っ走った楽句が重なり合いながら追い駆けっこを繰り広げる。どの楽器もこれでもかと腕を見せ付けるようだ。かと思えば、暢気なリズムがオスティナートし、打楽器とブラスが派手に鳴り響くのが、東洋風でもあり、ラテン風でもある。

そうでなければいけないことなんてひとつもない。
しかし幻聴のアンサンブルは、そう言ってるようだ。

スペクトル楽派はドビュッシーまで遡りそうだ。音色を捉えたいと思った中学生の頃はストラヴィンスキーを縦に理解したかった。時間軸は要らない、と。
今はどこかの民俗舞曲で良い。
そうか。ジョージ・アンタイルのエセ民俗音楽風なヴァイオリン・ソナタの混乱は、チェコ生まれを思い出せば無理からぬことだったのだ。ラベルを剥がされてしまう「移民」。認識記号を失ったための混乱。
架空の国の音楽ではない。
ラベルを失って後さらに、かつてのラベルの記憶をトレースする試みか?

ヤク中でドイツに居られなくなったニック・ケイヴ。ブラジルに移民してもアルバムはちゃんと出る。そのバンドPVを思い出す。最近の映像のはずなのに、かつて視たデジャヴ。そうだ、これは大沢のスクラップストーリーズだ。大沢は早すぎたのか?

(駅貼りにされたデジャヴのマスカラのポスターの恐ろしさ!モデルの顔をトリミングしたために画鋲で留められたポスターは顔に画鋲を打ち込まれて見るたびに大変な痛さを感じる。)

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