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2005.08.07

時間感覚は感情を持つか

同じ長さの時間でも感じ方が違うのは面白い現象だ。
会議でも議題をまとめると10分くらいで済んでしまい何だか物足りなささえ感じてしまうことがある。

ユン・イサンの、世界の創造と終焉を告げる楽の音、それに挟まれた時間。世界はその間に明滅する。
テルテリアンの自在に伸縮する時間の定義も面白い。時間の裂け目ではないだろうけど、それまでとは異なる次元での進行を挿入するなどの多様性は愉快だ。

それでヘラルドのコラージュ風な作品を聞いてると、また違う感覚を得る。
コラージュという性格上どうも性急な展開は難しい様で理解できるのに手間取る。なので(?)作者も理解するであろう時間を計算してるようで可笑しい。音素材は混乱した響きをしてても、直ちに暗示となる表現音を挿入していないらしく(そうすると無闇な恐怖が増幅するようだ)、間合いを読んでるようなの所が、どうにものんびりした感じになってしまう。
ポリフォニーは二つの時間が同時進行するのだと思ってたが、そうでなくても良いらしい。
そうした時間の諸相を変奏技術と関連させて考えると、ペルトのチンチナブリ作品を思い出す。そこでは速度の違う要素が同時進行する。

では、同時に偏在するとはどういう表現になるだろう。それはブライアン・イーノのように作者さえもが無視してもよい音楽であるのか。
もしそうだとしても、世界を写し取ることは出来ないだろう。
世界は意図した通りには納まらないし、思わぬ応えを用意してるか、より残酷に無反応であるかだ。

文明が進化して世界はやさしくなったのかと錯覚してしまいそうだが、世界は変わらずに野蛮で野性的なはずだ。
慣らされてしまう時間、忘れてしまう時間。それは驚愕や覚醒へと変貌するだろうか。

異なる感情を同時表現し、顕すこと。
伝えるのではなく。

正しいけど間違っている、間違っているけど正しい。いや、正しいけど間違って伝わる、間違ってるけど正しく伝わる。
そんな、永遠のヴァリエーションを夢に描いてみる。

それは「スローターハウス5」のような、循環する夢想の明滅だろうか。

その時、憎悪と習慣は、惰性となって身に付いてゆく自然と化すのだろうか。
それとも変革を引き起こす明確な意志をシステムは萌芽するだろうか。
それでも自己中心的な恣意的解釈と未分化な悪意は同時偏在し、未知の世界が持つバイタリティを知らぬ間にスポイルするだろう。「奴らを黒く塗れ!」「反対側に、コイツを突き抜けろ!」

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