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2005.09.04

音楽の雑記

ミニョーネの音楽になんとか目鼻が付いてきたが、歌い所が違うため、呼吸が掴めない。それにしても北欧の館野泉がなんでブラジルのミニョーネだろうかと思ったが、音の、響きの好みがフィンランドのマデトーヤに近い。悪く言えば少々衒学的だ。

LADISLAV KUBIK(Iはストレスが付く)の協奏曲集、ヴァイオリンも、ピアノも特に耳を引かないが、合奏協奏曲には心惹かれる。ヴァイオリン、ピアノ、打楽器と弦楽合奏。冒頭の三連譜と半音階はショスタコヴィッチの初期を思い起こさせ、その後に現われる打楽器の動きはショスタコヴィッチの後期交響曲を思わせる。その経歴からして有り得ないから、狙ってないだろうけど、どうもショスタコヴィッチの作品履歴を俯瞰した音楽のように聞こえる。終局のアンチクライマックスも、それらしい。

TOMAS MARCOの交響曲4、5番。ツァラトゥストラの引用。交響曲を終わらせるために新しい交響曲を書くという行為。ミニマルではない繰り返し。それらを考えろと迫るのだが、この人の作品にしては楽しめる類だ。いつもなら時間とか空間とか、ここではないどこか、なのだが、交響曲では「ココ」なのだろうか。
それとも録音がそう思わせるのか。
スペイン国立放送局だろうかRTVEの「MADRID EN EL TIEMPO Ⅲ」に聞くトマシュ・マルコは哲学的な響きがする。儀式的だ。
この人は紹介されるとアレアトリーと言われる。それは何かの立場を表すのだろうか。

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