« ケータイが多機能化すると苦情も多機能か? | Main | 企業買収は悪? »

2005.10.30

ルーマニアのトロンボーン

ROMANIAN TROMBONE CONCERTOS
METIER MSV CD92021

なぜ、米国レーベルがルーマニアなのか、自分はこれを聞こうと選んだのか、わからない。
曲目詳細やライナーから知識を得るのは止めて聞こえるままに楽しめるように予備知識なしで耳だけを頼りに音を聞く。

未知に接するとき、既知に引き寄せるか、未知なままに接するかで、理解は異なるだろう。よりよく理解するには事前調査も必要だろうが、あるがままに受けるのもひとつの方法論と思う。

でもまずは自分の持ってる先入観を整理しよう。パリ音学院でラヴェルと同窓だったエネスコは民俗素材で印象派風エスニックな作品と平行してバッハばりの古典スタイルを物した。が現代のルーマニアの作家は点描主義だ。これが事前の知識だ。

CDを聞き始めると、いかにもな現代音楽風なオーケストラがキャンバスの下地を塗り始める。そして力を溜め込んだところでソロ楽器の登場。コントラバスが並走して陰影を付けるが、それは強調するではなく、荒らくれ者が偶然街に二人やって来たような始末だ。
その間にも、結構な即興的パフォマンスで絵は描き上げられて行く。太い筆致で累ねられる筆跡が何を描いたのか。
あっさりと次の音楽が始まる。呪文のような特徴的なリズムを太鼓が叩く。今度は地上を這う影のような筆使いで点描されるようだ、ゆっくりと輪郭が立ち現われるかのように霧か霞の中でのように。慌てて先取りすることもなく、音は姿を変える。言い淀み、言い直し、言い間違い。マイクロスリップ。技巧化してフェイントに持ち込むのなら。これは何かへ向かって姿を探求しているとするなら、彫刻と呼ぶべきか。
超絶技巧と特殊奏法のオンパレードに輪郭を飾られた唄。呪文は天へと向い、一瞬に極彩色の夢を見せる。行幸が果たされ恵みの雨が降り注ぐのか。

筆さばきは、さらに点描というに相応しく絵の具が運ばれる。技巧に音色を求めながら、果たされた行幸の夢の続きを見たいのか、技巧に縁取られた歌を唄い変える。言い淀み、言い換える。唄い続ける歌は戯言のように、泣き言のように、ゆっくりと、点描技法は奏者を短波発信機へと変身させるのだろう。
唄はいつしか短い言葉となり霞の中の小鳥と戯れるのか。

霞の道。
色を面として塗り上げる。これも何かの呪文なのだろう。静かに低く力の狂気を抑えながら。突然その姿を現わす。しかし直接ではない。霧に映る姿。途切れ途切れの暗示。何処の地方とは判別できない踊りか歌声が聞こえてくる。勘違いしていた憧れよりも現実は、丸出しなのだった。楽しかったり浮かれていたり、しかし、そこはかと無い悲しみが嬉しげに滲む。そうした身振りを肌理としてレイヤーする。時代のパースペクティヴは感じないが、間違いなく独自のマチエールを作り上げている。

マイクロスリップを意図すればフェイント技として多重表現が可能だろう。
ダブルミーニング/ダブルトーク。

非常に多彩な技法を多用したアルバムで、ヴァスクス、カンチェリ、チベット音楽など現代音楽以外にのインスピレーションを開示する。もちろん、社会主義下の音楽も吸収消化してる。

けど、ジャケットがBran Castleじゃセールスには結びつかないだろう。

|

« ケータイが多機能化すると苦情も多機能か? | Main | 企業買収は悪? »

音楽」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference ルーマニアのトロンボーン:

« ケータイが多機能化すると苦情も多機能か? | Main | 企業買収は悪? »