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2005.12.30

陳銀淑(チン・ウンスク)

AKROSTICHON-WORTSPIEL
アルバムタイトルの、この作品は、エンデ「はてしない物語」とキャロル「鏡の国のアリス」から採られた七つの場面をソプラノとアンサンブルで演じる。
言葉遊びと言っても辞儀からすると、接頭語の文字の組合せ遊びを意味する、キャロル得意の文頭を縦に読むと人名になる、例のアナグラムだ。
この繊細に仕上がられた入念なエクリチュールを聞いて、まず思い浮べたのはエサペッカ=サロネンの声楽曲。そして楽器編成が明らかになるに連れてストラヴィンスキーの流儀を踏襲してるのが聞いて取れる。それは現代ならブレーズの、いや、もう定義することも出来ないほど一般化してしまったスタイルだ(例えば5曲目はルジツカのニーチェ歌曲を思わせるのは御愛嬌だろう)。
あるいは分節した声楽と器楽の掛け合いを聞こうということか。
なので、アンサンブルと同域で声が競うのだが、自分の耳には、ソプラノに設定された音域は、もっと高いか低いかした方が良いように思える。

次のFantaisie mecanique(meにはストレス)は、トロンボーンのせいかクセナキスのアンサンブルを吸収する過程のように思える。音楽スタイルってこうなんでしょ?というような優等生の模範回答みたいな印象。聞き重ねると、いくつかのパートに分れて展開し、それぞれに特徴づけられた課題を負うエクリチュールの技法が存分に聞き取れる仕上がりで、そこからはキレイなスコアが思い浮かぶ。
実はこれ、なかなかなな力作なのだが、終決部の演奏の仕上がりが、先のような印象を与えているようだ。

Xiはアンサンブルとエレクトロニクスのため。電子音が意外と音色が良いのに、音楽内容が平坦だ。こういう音をやるならノイバウテンを聞いておくべきだろう。「もっと暴力を!」どうやら自分の耳には電子音のレンジが凡庸に聞こえてしまう。繰り返し現れるので慣れてしまうのだろう。内容に係わりなくとも恐がらせるための捨て駒を仕込むべきか。
オーボエと電子音のための作品を書いてみてほしい。
作者は韓国で初めて電子音楽を書いたカン・スキの弟子だ。
トンがった音を書いていたらしいが、この作品からは感情の起伏レンジが抑圧されてるような感じがする。それは女性特有な表現なのか。

最小エレメントに分解する。そこから出発する。どうもそういうことを、このアルバムプロデューサーは考えたらしい気がする。ユン・イサンのような東洋哲学を全面に出していると言われるようなオリエンタル・ミステリーを期待したのだろうか。
ドイツグラムフォンがフランス放送の録音音源を編集してまでリリースしたかった理由を考えてしまう。

二重協奏曲はプリペアード・ピアノ、打楽器とアンサンブルのため。
これもまた曲がいくつかのパートに別れているようだ。消え入るような終局。曲全体をひとつの呼吸と捉えることも可能だろう。それを宇宙とするならユン・イサンの東洋思想を継ぐものとすることが出来る。

ネットに、視聴できるレコード会社の紹介欄があった。


誰が書いたかwikipediaにも記述がある。
(ネットはタダだから財団寄付なんて無理だろう。とすると選挙で集金できるのはやはり問題提起だね)

クセナキス「シナファイ」で注目のピアニストによる、エチュード音源。

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