【 vol.240】クラシカル MIDIマガジンにあった伊福部氏の略歴
【 vol.240】クラシカル MIDIマガジン
巨匠、さようなら 〜伊福部 昭 逝去〜
略歴
1914年、北海道釧路町幣舞の、因幡の古代豪族を先祖とする警察署長の三男として生まれる。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1935年北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科卒業。
早坂文雄らと独学で作曲法を習得し、伝統的な日本の音楽に根ざした作品造りに取り組んだ。大学を卒業した1935年に「日本狂詩曲」がアレクサンドル・チェレプニン賞第1位に入賞し、世界的評価を得る。1938年に「ピアノ組曲」がヴェネチア国際現代音楽祭入選。
1935年厚岸森林事務所に林務官として勤務。1946年から1953年まで東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科講師。1974年東京音楽大学教授就任、1976年同大学長、1987年同大民族音楽研究所所長を経て、同大名誉教授。教育者として芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、三木稔、石井真木、松村禎三など多くの作曲家を育てた。
アツケシザクラの発見者でもある。晩年は東京都世田谷区に居住。
管弦楽曲、バレエ音楽、歌曲、室内・器楽曲など数多くを作曲した。また代表作のひとつである映画『ゴジラ』のテーマ曲をはじめ、1947年の『銀嶺の果て』以来、『座頭市』『ビルマの竪琴』など多くの映画音楽もてがけた。主な著作に『管絃楽法』、『音楽入門』などがある。
父は警察署長や音更村(現音更町)村長を務めた伊福部利三。構成作家の伊福部崇とは親戚関係にある。工学博士で北海道大電子研究所教授や東京大先端研教授を歴任した伊福部達は甥。
2003年頃から体調を崩し始め、2006年1月19日に腸閉塞のため入院。2006年2月8日、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去。享年91。葬儀委員長は松村禎三(東京芸術大名誉教授)。
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