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2006.02.10

時代の変わり目ではあるな

一昨日からひどい風邪をひいて臥せってたので、昨日点滴を打って、今日は食事が出来るようになった。
病気になるには理由がある。自分の中で何かが変わろうとする兆しだと思ってるので、この後に何が起こるのだろうと呑気でいた。
アンドレイ・エシュパイの、RUSSIAN DISCとカブらない曲目を選んでALBANY RECORDSからVOL.1と3を入手して聞きそびれてたのを熱に浮かされながら聞いていた。うとうとと寝入ろうとすれば頭痛に目覚め、を1時間置きくらい繰り返していた。西洋が見た東洋、社会主義形式、多産ながらもショスタコヴィッチほど破綻もなく、それだけにスリルが足りない、しかし音楽院知識の宝庫のような技法の山で、聞き終えても耳の中でヴァリエーションがどんどん聞こえてくる。ひょっとしたらプロのためのアイデア帳なのか?と思いながら、自分の記憶が裏切らて行くのを覚えた。記憶の中の交響曲1番は「マリの山と小川の歌」の3曲目当りからの抜粋だったのか。いや展開が違う。しかしディスクの交響曲はまるで違う。。。どうにも折り合いが付かない。

伊福部昭の訃報には驚いた。亡くなったことよりも「ゴジラの」に。

雑誌取材で九品仏の、区の天然自然物に指定された大きな樹が塀から逃れるようにしている瀟洒な住まいを訪ねたのはもう20年以上も前のことだ。
掛かってきた電話に席をはずされた合間にピアノの上を見ると(そう、自分も突如として自宅に電話したら御自身が通話口に出られて驚いたものだ)ラヴェルとヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタが置かれていた。前日まで「交響的エグログ」の打ち合せをしてたと聞いてたので意外だったが、その後サントリーホールでヴァイオリン・ソナタが初演された。その日はニューヨークの新聞で「ラウダ・コンチェルタータ」が床に杭を打ち込むようと評されたのを悔しがっていた。


思えばあの独特の手触りの茶わんは息子さんの作品だったのだろう。余りの風流ぶりにそこまで気付かなかったが、失礼を覚悟で言うと、伊福部昭はなかなかに親馬鹿だったのかもしれない。昭和の洋館(実はよくある日本の木造建築住宅だったはず)といった佇まいの家具調度に馴染んですっかり風景と化しているために違和感はなかった。しばらくして編集部に神奈川か新宿のデパートでの焼物の案内状が届いたが、差出人に覚えがなく、ただ伊福部というめずらしい姓にひゅっとしてとは思ったが、今のように簡単に作曲家の家人を調べる術を持たない当時としてはただ推測するしかなかった。
もしかしたら雑誌で取り上げるのではないかと期待されたやも知れない。自宅でも蝶ネクタイに正装される人がまさかとは思うが、もしそうだったなら力がおよばず申し訳ないことをしました。

玄関で三つ指をついて見送られながら、未熟な私には理解できていなかった。
ただのいちファンが音楽の話をして上気しただけ。編集部では「誰だいこの人?」と言われながらも、若干の問い合わせと新規購買者がいた。

「タプカーラ交響曲」がいつもの冷たい表情ではなく暖かさを感じると伝えると、興味深そうに目を細めてた。インタビューに来る人はろくに本も読まなければ音楽も聞かないとも言っていた。アイヌの立ち踊りの話に、ガルシア・ロルカがドゥエンデ(魂)は足の裏から駆け上がってくると言っているのと何か関係があると思うかと訊いたら笑っていた。

そして、この時、サーカスのジンタは朝鮮の人が書いたんだよ、知ってるかい。
あなたの耳はくにの音を知ってるの?

正確に何と言われたか定かではない。
ジンタは最近になって作者が日本人と特定された。

もうひとつの質問は、ブーランジェがピアソラにタンゴを書きなさいと言ってるようなものなのだが。。。政治的に難しいと判断してしまう自分が今もいる。
民俗性は生れ付きではない、後天性の才能だと思う。。。

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