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2006.03.14

先週聞いたCD

Tigran Mansurian 弦楽四重奏曲集
Ernest John Moeran ピアノ全集
christos hatzis awakening
ESTANTICO CAVALLI-RECORDS CCD419
Salvatore Sciarrino LA BOCCA,I PIEDI,IL SUONO per 4 sax solisti e 100 sax in movimento
pascal dusapin concertos watt galim celo

都会人の自分が言うと説得力がないけど、現代人は地球で生きる上での野性を経験する機会を奪われている。
マクロ/ミクロの視点変換が苦手なのも、未来を予測するのが下手なのも、他者との距離が極端なのも、場の空気が読めないのも、時間感覚がおかしいのも、
社会通念と言ってしまえばそれまでだが、経験認識を共有し他者の感情を理解するには、意味に於いても伝達に於いてもバベルの塔は崩壊したままだ。
なのに/なので、戦争という野蛮には過剰反応を引き起こす。それは管理されたシステムが綻んでいると思うからではないだろうか。歴史的に観て戦争は拡大された貿易手段だ。近代は商行為と掠奪を名義上区別するが、そこでの米戦略の飴と鞭は、ドルと戦争だろう。

Peter Ruzicka CELAN SYMPHONIE
ERINNERUNG これもツェラン関連のクラリネット協奏曲。
Valentin Silvestrov Requiem for Larissa
作曲家の奥さんを悼んで書かれた。

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ここまで聞いて、ルジッカで躓いた。
繰り返し聞くたびに印象が塗り替えられる。
そして気が付いた。これは補遺だ。
本編を読まずに巻末の解説だけで感動を得ようなんて厚かましいことなのだ。

なので、ここまでとして、ルジッカは混乱したままに、シルヴェストロフは次の機会としよう。

(全文)
Tigran Mansurian 弦楽四重奏曲集
ジャケットは作者の言葉を汲んで夜闇色の風景に染められている。ライナーを読むまでは深い、綺麗な藍色とだけ思ってた。
弦楽四重奏曲の1、2番どちらも友人の死を悼んで書かれたのでとても怖ず怖ずと音が繰り出される。けれど、なぜかゆっくりと、なにかの光景がやってくるような気配がする。
とてもゆっくりと旋回しながら舞い降りて来る/舞い降りて行く、気配は観照なのか、どこかへ行こうとする主観となにかがやって来るような気配が、緩やかな期待となり、聞いている者の気持ち(耳)が急いている。
作曲家は友人を喪った気持ちを闇の深さだと言う。自分には、この透明な音楽を闇とだけ呼ぶにはあたらないように思えてならない。
そして、作者の生真面目さは、録音演奏してくれたことを機に、新たに、レーベル主宰者にTESTAMENTを献呈する。
(ロザムンデ弦楽四重奏団は今年初めにマンスリアンとテルテリアンを演奏する予定だったが病気により取り止めになった。)
マンスリアンの音楽は郷土色が強いものと前衛的なものとに分かれるらしい。
次回は郷土色の楽しいものをリリースしてほしい。

Ernest John Moeran ピアノ全集
作曲順に並んでないので変遷を聞き取ってはいないが、モランは、英国の作曲家が民謡運動に影響され王朝風に染められたのとは異なるようだ。この辺は面倒だから飛ばそう。
北欧音楽のように豊かな自然を誇る素晴らしい田舎音楽を期待したら見事に裏切られるだろう。題材は、自然であり素朴な田舎風景だろうけれど、音はニューエイジ風に都会的に洗練され、ジャズのソロアルバムを聞くようだ。
ある箇所では眼の前に、雪を冠した山や小川のせせらぎの風景が迫ってくる(自分もそれを知ってるってことか)。
残念ながら作品にはバラつきがあり、全てに満足とは言えない。

christos hatzis awakening
ギリシャ生まれのカナダの作曲家の弦楽四重奏曲集。タイトルの、94年に初演された1番は増幅されたテープを伴い、カナダ奥地のイヌイットと蒸気機関車をサンプリングした、凄まじいまでの鬼気迫る演奏で、ヘヴィーなナンバーに仕上がっている。
それにしても、カナダという国は面白い。他国では自国文化を宣伝するためある種伝統的音楽政策を奨励するのに、ここでは現状をストレートに訴えていて、ユニークだ。
作曲家は53年生まれなのでギリシアの政情不安を受けて亡命したのは両親であったろう。作品は世界的な音楽視野で取材されるが、母国としてギリシアが現われては来ない。若干バルカン・ジプシー風な響きに面影を見るくらいだろうか。
2番は、1番からの引用に始まるが、3楽章を作曲中にコソヴォ紛争が起きたため視線はそちらへ向けられる。
この演奏団体の、ゴリジョフとは一味違った、パワー炸裂の快(買い・怪)演である。

ESTANTICO CAVALLI-RECORDS CCD419
ドイツの演奏団体による打楽器アンサンブル集。
西村朗や三木稔が入ってるのでワゴンで見付けたが、実はトゥールのMOTUS ㈼に興味があった。残念ながらライナーが乱丁で英語ページが他のものと入れ替わってるので曲目解説が読めないのだが、全般的に演奏は平坦で特徴が無い。西村作品はそれでも良いだろうが、打楽器アンサンブルは音色変化が楽しいはずなのに、これでは飽きてしまう。なので、せっかくのトゥールも、いつものシンタックスエラーと破綻、そしてここにはその後があるのだが、作品としては凡庸な印象しか残らない。

Salvatore Sciarrino LA BOCCA,I PIEDI,IL SUONO per 4 sax solisti e 100 sax in movimento
またしてもCOL LEGNOレーベルの、これは、偉大なる勝利である。
数ヶ所で、違った時に録音された総勢100人のサックス奏者が作る音の雲を背景にサックス四重奏がミミクリー(まねっこ遊び)を繰り広げる、まことに実験的な、聞くに耐えない36分ほどを提供するものだ。
環境音楽にするには主張があり過ぎるし、現代音楽として聞くには内容が乏しい。DVD付きだが、まさか見る必要はないだろう。

pascal dusapin concertos watt galim celo
クセナキスが、私の正当な弟子(後継者)と認めた、という話だ。
なるほど、それでまずトロンボーンときた。立体的な構造よりも、音色の対比を優先して、リニアな構図が浮かぶ。
次のフルートでもオリエンタルな要素を盛り込んでるのかと思わせるのは音の跳躍や微分音のせいだろうか。
最後のチェロでもやはり手法は変わらず、むしろ、さらに年老いた音楽を書いてるような印象を受けるのも、オリエンタルを装おうとするがためか。
これら3曲は見事な思索ではあるが、音を聞く欲望を満たしてはくれない。ただ管楽器の想い出が、後ろ髪を引く。一般のレパートリーに定着するには未だ時間が掛かりそうだが、そうなった暁にはきっと独奏者それぞれの個性を愉しめるようになるだろう。

都会人の自分が言うと説得力がないけど、現代人は地球で生きる上での野性を経験する機会を奪われている。
マクロ/ミクロの視点変換が苦手なのも、未来を予測するのが下手なのも、他者との距離が極端なのも、場の空気が読めないのも、時間感覚がおかしいのも、
社会通念と言ってしまえばそれまでだが、経験認識を共有し他者の感情を理解するには、意味に於いても伝達に於いてもバベルの塔は崩壊したままだ。
なのに/なので、戦争という野蛮には過剰反応を引き起こす。それは管理されたシステムが綻んでいると思うからではないだろうか。歴史的に観て戦争は拡大された貿易手段だ。近代は商行為と掠奪を名義上区別するが、そこでの米戦略の飴と鞭は、ドルと戦争だろう。

Peter Ruzicka CELAN SYMPHONIE
ルジッカ自作自演の、歌劇から派生した補遺だ。パウル・ツェランはひとまず置いて、ルジッカの音色が好きな自分には期待の一枚だ。弦楽四重奏曲が絶盤になってるのは、レコード会社と代理店の契約問題か、それとも、これに吸収されたからか。
冒頭の連続して打ち鳴らされる打楽器絡みのクラスター音、来たぞ!
しかしどうしたことか金管が締まりがない、それからは指揮者が疲れてるのかと心配しながら、ようやく持ち直した所での、ヴァイオリンのトゥッティのその音は無限のフェルマータがあって良いのに、何故にあなたは先を急ぐのか。そもそも何でここに拍が必要なのか。そう言ったらルジッカを否定してしまうか。
ドラマはあるようだが、冴えがない。
ERINNERUNG これもツェラン関連のクラリネット協奏曲。やや鈍重なクラリネットの訴えは、やがて安らぎの夢として背景にモーツアルトをフューチャーするのが演劇的だが、むしろ、これはテープさえ導入しなかったルジッカらしからぬ表現方法だろう。
作品のみならず録音コンディションも大切だなぁ。してみるに実際は東ドイツ出身作品は現代としては歓迎されてないのだろう。
これらが作られた、二十世紀の終わりでは、ツェランの意味は失われ、ルジッカも過去の人となりつつあるのか。

アップデートした修正バッチに不具合が起こらないかと不安な思いにイライラする欝陶しさを免れるため、処理速度が遅くても低ヴァージョンで快適と嘯くような、OSを人々にインストールしたとて、それはコミュニケーションではない。
迅速なコマンド伝達だ。
政府マスコミと世論の関係がそれにあたる。

Valentin Silvestrov Requiem for Larissa
作曲家の奥さんを悼んで書かれた。

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ここまで聞いて、ルジッカで躓いた。
繰り返し聞くたびに印象が塗り替えられる。
そして気が付いた。これは補遺だ。
本編を読まずに巻末の解説だけで感動を得ようなんて厚かましいことなのだ。

なので、ここまでとして、ルジッカは混乱したままに、シルヴェストロフは次の機会としよう。

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