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2006.03.19

闇の色

深い藍色の淵に鮮明なエメラルドグリーン光のグラデーションが見える。
光の闇を吐き続けるパンドラの箱よろしく。無辺の空間は闇色に闇を重ねて、さらに輝きの深みを増す。

ハイリゲンシュタットで生活に絶望した年にニ長調の交響曲を書く、以降の生涯で神々しい喜びと感謝を表す調性で。
人はそれを希望の象徴として受け止める。そのオーケストレーションの淡彩画のグレースケールは、調合された膠の具合で、筆は伸びやかな諧調を描きながら、内に合わせ持った様々に微細な色調をほのめかす。息苦しい悪夢のようにのしかかり、なおも目の前を走り去る脱兎の如く素早く逃れゆく、たゆたうではなく、いかなる時にも、どこかへと向かう意志を打ち明ける。

ペーター・ルジッカは声楽を導入することで音響の立体構造を言葉に譲ったツェラン・シンフォニーでどんな闇を見極めたろう。
闇を染める黒髪の深さは胸苦しい悪夢の現実として目の眩む閃光の力を以て不安を追い詰め総てを「死」に見せつける。
言葉と音楽とが観照するには対象である必要もなくただ向き合う、それだけで互いが抱き合える。
夜更けの闇、暁の闇、闇に浮かぶ影。
「死」が見たものは、恐怖に染め抜かれて色をなくし見慣れぬ容貌で、総てを奪われたとの絶望との狭間で己の感情を理解する間もなく足元を掬い取られる。そうして死にゆくものは身に迫る光に怯え、我が身を喰らう時間を見失う。
光のなかの影、影のなかの光。忍び寄る匂い。
遂に現代人は、森厳なる「死」を手にすることを喪った。

ツェランの見た「死」とは、フラッシュバックするほどの鬱積された恐怖、いつまでも脱色されなずに純粋なままの野蛮な恐怖、遂に、逃れ得なかった安まることのない恐怖として残り時間を喰い潰し、己が身をも晒してしまった記憶の中の歯車だったろう。

−−−−−−−
これも違う。

音色から、色彩の差を闇に求めてアプローチしようと思ったが、無理だった。

このままでは(月並みだが)「喉に刺さった魚の骨」だな。

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