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2006.04.23

シノプスに忠実であるべきか?

Grazyna Bacewicz
弦楽四重奏曲全集 3枚シリーズ。
弦楽四重奏曲第1〜6番とピアノ五重奏曲第1〜2番。

伸びやかな歌あり妖艶な和声あり涼やかな夕べありで大変に結構な作品ばかりだ。生活の中で感じていたい音楽だ、何かをしながら部屋から部屋へ歩いて移動したり、あるいは料理を作ったりするときにあると良い音楽だ。
作風としては、優雅な音楽様式と現代的な響きを追求してるようで、それはそれで巧くまとめ上げられているので、例えば、サイレント映画の伴奏用に書かれたと言われたら信じてしまうだろう。
和声的にはフランスの影響を受けてるようだが、歌心にあふれ、第1番からして相当に楽しめる。

では、何が問題か?

第6番、出だしから無調を思わせるグリッサントで始まる。期待すべきはシェーンベルクか、クロフォード=シーガーか。答えはどちらでもない。クライマックスを目指して音が進むと、あからさまにではないが何故か身振りでブレーキが掛かるか、あるいはハズされる。ただしアンチクライマックスを狙ってるのではない。
それは、ある意味、理知的な処理なのだ。
音に負けずに自分が書きたい方向へ持って行こうとする意志なのだろうから。

それがまるで、小説や映画シナリオのシノプスを繋ぐように書いてるのだなと、思わせてしまう。
クライマックスなら当然起こるだろう破綻/破局もなく、それがゆえ音の大胆さが削がれ、次のエピソードへ展開し繋がれる。そこには表面上、継ぎ目もなく何の無理もない。見事なものだ。
だが、聞き直す内に音に物足りなさを感じるということは、仮説だが、そうした書き方のせいではないだろうか?

または、単に自分の時間的な間尺との、差異のようなものかも知れない。
東京と鎌倉で、あれほどに距離感(時間感覚)が違ったのだから。

セチメンタルにならず、ノスタルジックにもならないし、泣かない。そこで、わざと音を汚す。これが彼女のひとつの技法として確立されてるようだ。大変に自己統率の厳しいひとだったのか。

第5番の終楽章、なかなかチャーミングに仕上がってるが、変奏曲の第一変奏がハルサイ・リズムではないか。テーマの変拍子がね。

こうしてみると、形式的な新しさを探求すべきだったのではないかと思う。そうするのは時代の空気からは、難しかったろうけれど。

なので、作品全体で統一されたバランス上には書き上げられているようには思えない。古い楽曲形式にコラージュ画を仕立てたようなのだ。
それでいて、耳に不快さを残すことはない。

これらはただ単に、音の身振りが素っ気ないだけで、それがちょっとシマノフスキーを想わせるが、もっと時が経てば懐かしく響くだろうか。その時にも必要を感じ続けられるだろうか。

演奏団体が全員女性だったので、衝突音が無かったのかな。。。

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