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2006.05.07

ペッタションの7番

今更だけど、ドラティが振るペッタションの7番の封を切った。

Swedish Society DISCOFIL SCD1002

本当は16番のsop-saxの原典版演奏が聞きたくて去年の夏頃、日本の代理店が、在庫を整理するためか、値下げした時に求めたまま、封を切る機会を逃していたので連休なので手が伸びた次第だ。

ドラティの力を汲み上げるような求心力は、この人ならではだろう。音は決して良くないが、泣き笑いのツボが上手く押さえられてると思う。
映像的な解釈を自分は求めがちだが、ドラティはどちらかと言えば神秘性もなく叙述的で、その分、世界観としては、ごく個人的な話を聞いてるような感じではある。
楽器のバランスなど、今後も間違いなく演奏面でこの作品は重要になるだろう。

16番は、こんなに詰まった音域だったんだね。sax奏者の依頼を受けて書いた、完成された最後の交響曲。
ケリーは楽器の性能からオクターヴ移行したりしてるが、楽譜も演奏も、こうして狭い中をもがくように追い込まれて圧迫感と不自由さを感じながらオケと競うのは辛いだろう。奏者への精神的な抑圧を強いるのかとさえ思える。が、音楽は時に甘く、美しい。交響曲というより、語り部がいるので、バラードだ。

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Comments

ドラティの演奏には色々と考えさせられる。ナザレーのタンゴ・ブラジレイロの、あのアルゼンチン・タンゴのような足捌きを目の当りにするような見事な身振り。これを上手く弾くのは自分の技術では無理があるのだが、泣き笑いの表情の変わり目、その瞬間。音楽を止めずに大袈裟にならずに明確に表情を変える。思えば20世紀前半に音楽は、こうした術を手に入れてたのだ。ストラヴィンスキーは、その表情を敢えて削ぎ落としてみせた。その身振りだけで表現する術を己に潔しとした。問題はナイーヴな連中が真似したことだろう。具象あって抽象だといわれるように、あの正確無
比なデッサン力あってのピカソであるように、古典を己の現代の技法で描き直すという大技が成立するので、技量の及ばぬ者が大量に追随して駄作を並べて、その領域を平準化した弊害を思えうと、どうしてもワイルドとバーバルの違いを思い知らされる。野性的なのは飼い馴らされてないため無知無教養なのであって、方法としての野蛮に遠く及ばない。

Posted by: katute | 2006.05.09 07:49 AM

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