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2006.08.14

初演の混乱はこんなじゃなかったのでは

YuoTubeの劣化した画像でドラマを観たが、どうも後付けで頂けないないようだ。演奏後がぶった切れてるのもドラマとして見るには不十分。
それに、そもそも聴衆は何を不満としたか、騒いだり静まったりが極めて不自然。舞台上の踊り手が転倒する振り付けは「舞踏」出現後の1970年以前には許されなかったこともあるだろう。
それでも「春の祭典」はまるで観たことがなく、舞台上の出来事は初めて観るので興味深かった。
しかし、これ、ドラマとして成立してるのかね?

ついでに観たファジル・サイの、打ち込みとの連弾が面白かった。
この混沌とした力ずくの音楽。Turkishの感性としてそれで良いのだろうと、何故か納得がいく。そしてなるほど「ペトルーシュカ」の続きである。
違いは、幾層にも重なった音楽が同時進行することだ。過去にも現在にもこんなスタイルはない。ストラヴィンスキーの新古典主義は、同時進行するポリフォニーへと変身したのだろうと思う。ならば、長生きしてタルコフスキー映画に音を付けてほしかった。。。

ニジンスキーの感性が気になる

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Comments

TB、ありがとうございます。確かに「全貌」は気になりますね。どんな邂逅や混乱があってあのステージまでたどりついたのかについてが、検証材料になるのでしょうが、これはDVDなどで発売されるまで待つしかないのでしょう(もしくはイギリスで録画していた人間を捜索するか)。
どちらにしろ「春の祭典」というものの立ち位置をもう1度考え直し見てる、いいきっかけにはなるかなとは思います。
ところで関係ないことですが、自分以外で「フォントブログ」を観ている方には初めて出会いました。

Posted by: at.yamao | 2006.08.16 11:10 AM

山尾敦史 様
コメント有り難う御座います。
『ビートルズに負けない近代・現代英国音楽入門』は大変重宝しております。他の地域もこのような紹介書があるとうれしいです。
さて『ハルサイ』、うろ覚えな記憶で恐縮ですが、後年のストラヴィンスキーに会ったら、初演の模様をが相当に話し慣れて語られたらしく、あれは随分と脚色されてるよ、くらいに言ってたのが果たして誰だったのか、思い出せません。
そしてこれも聞いた話、日本人で唯一現場を目撃された方の証言が活字になったことがあるとか。これはほとんど都市伝説の領域です。

ストラヴィンスキーは音色にはこだわったけれど、楽器じゃない取り扱いはしなかったので(バルトークピチカートさえ)、その後の改訂でも足踏みを追加しなかったのは、納得範囲。
しかし、初演で音として存在したにもかかわらず、その後の演奏で足踏みを入れない理由は何でしょうか?逆に疑問が湧くところです。

Posted by: katute | 2006.08.23 02:00 PM

知らなかったよ。これは驚き。さすが松岡正剛。

『ニジンスキーの手記』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1099.html

Posted by: katute | 2006.10.13 11:51 AM

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