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2006.09.16

現代の前衛

Carlos H. Veerhoffは1926年にブエノスアイレスに生まれたドイツ人作曲家。活動の舞台は主にベルリンで、ボリス・ブラッヒャーやヘルマン・シェルヘンに学び、指揮者フェレンツ・フリッチャイのアシスタントをしていた。
1980年代の室内楽を集めたアルバム、交響曲を含む1950年代半ばから70年代半ばまでのオーケストラ作品を集めたアルバム、80年代半ばに書かれた二つの合唱作品とノーベル賞受賞者に捧げられ交響曲6番を収めたアルバム。
この3枚を聞くと、面白いのは交響曲6番だ(初演してる演奏団体の委嘱作で、ノーベル財団からの依頼ではない。歌詞をその演説から編んだから受賞者らに捧げてるようだ)。けど、一連の作品を聞いて意識してしまうのは現代における前衛とは何かということ。
超然として社会と繋がりがない生活なんて現代では望めないので、フェールホフも果敢に挑んでる。
作品番号を付けてる人で、一番若い番号op.9の交響曲1番が1953/54年の作だから、第二次世界大戦の頃に多感な成年期を過ごした訳で、その頃に作品を書き始めたのだろう。
作風が、最近作1996年の交響曲6番でも変わらずに戦前の前衛スタイルを保っているのが素晴らしい。
もちろん、20世紀の音楽事件は消化/昇華されエピソード化して登場するのみだ。
そして音列的なモジュールはブラッヒャー仕込みだろうか、セリエルとは違う。

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室内楽を聞くとあれこれと戸惑い迷う。一昔まえの前衛音楽スタイルで、それを80年代に書いてた。演奏するのは難しそうだが、積極的に舞台に取り上げられる感はない。
そしてオーケストラ作品。現代の耳で聞くと、言ってみれば戦後に経済を建て直していた時のオイルショック前の世界観だろう。何かの予感と期待が描かれてるが、さて何が始まるのか、その本編はないのだ。

声楽を交えた作品となると、言葉遊びを取り入れたり音色面でもユーモラスなのだが、作品自体は相も変わらずシビアな表情を崩さない。ローマ・クラブなんてくだりがあるくらいだからあまり明るい未来像を抱いていないないのだろう。アルバム自体もパーテル・ノステルで閉じられる。

例えばイタリアには本道を外れた連中がたくさんいて、それがある種の味わいを醸してるようなのとは異なり、フェールホフは本道からこれをやってる。
なので取り上げられないのだろう。
ノーノなどを、その音の嗜好からただ美しい音を追求してただけだ、みたいな評を最近特に多く見るようになった。そんなはずがあるか! ノーノの共産主義運動が流行だったなんて言う奴は、監獄に入って拷問されるのも流行だったと言うのか。
そうではない。
音楽として駄目なものは駄目で良いのだ。作曲家は、その時に音楽しようとは思わなかったかも知れないから。
もちろん、持って生まれた美しい音への希求や探求心はあっただろう。それと同列に扱って、思想を無化してはいけない。結果として、それもまた作曲家を誤解するだけだ。

>これらか




"Carlos H. Veerhoff: Kammermusik" (Col Legno)





"Carlos H. Veerhoff: Symphony No. 6 "Desiderata"; Alpha - Zeta; Pater Noster" (Col Legno)


"Werke Fur Orchester" (Carlos H. Veerhoff)

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