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2006.10.04

ゴリジョフの見(せ)た夢

ソプラノのドーン・アップショーによる『Ayre』(2004)はゴリジョフという特異な作家によるエルサレム・フォークソング集と位置付けても良いだろう。詳細な経緯は知らないが、どうやらベリオ『FOLK SONGS』(1964)に匹敵する(あるいは欠落してると感じられた歌を補うための)作品を求めた結果のようだ。アンサンブルは極めて今日的な編成を取っている。言い方を変えると、クラシックの枠でない音楽とも言える。
東欧から、中近東、中東にわたる(ジプシーを含めた)広い地域の民俗音楽特性を備えた、ポップチューンに仕上げてるといっても過言ではない。
こうした音楽をクラシックの音楽家たちが演奏できるというのは評価すべきだ。演奏する音の扱い方がそれぞれに異なるのを意識しながら纏め上げるのは、それなりに技術を要するのだから(癖が付いたらクラシック歌手として通用しなくなる)。
そして作品が塀の上から(どちらの側へも)落ちないでいられるのも作曲家の腕だろう(なので当然どちら側から見ても物足りない部分もある)。

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ベリオ『FOLK SONGS』とはベリオが世界中から任意に採取した歌をアンサンブル伴奏に編曲した歌曲集。この発想にはex-formation的なものを感じる。
この辺りは、pc.watchの『コンピュータは人間を進化させるか』というアラン・ケイへのインタビューに同じ事が書いてある。その「ポップカルチャーの人」とは、『デザイン言語2.0』にあったように「知識はあるが知恵がない状態」なのだろう。
蛇足すれば、テレビの普及とともに知識はクイズに吸収される形で教育へと影響を及ぼす。得点のためのテストの得点による評価。結果、姿を留める事無く断片化した知識の量が教育に置き換えられた。
脳細胞間のシノプスが連携しない。これが第二次大戦後の世界に現われた人間の姿だ。

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プリンスの出現を思い出そう。当時の音楽ジャーナリズムは「白人が作る黒人音楽」として批判を加えた。そう思えば、音楽的に黒人になりたかったプレスリーなど典型的で、物凄いセールスを記録したため評価が逆転したが。
フランツ・ファノンのマニフェストのように響くが、白人文化の中から黒人音楽を発明し直したのがプリンスなのだ。

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ルチアーノ・ベリオ
canticum novissimi testamenti
a-ronne
ベリオという人はとても文学的だったと思う。
この2曲は詩人Edoardo Sanguinetiのテキストによる前衛作品。
前者はクラリネット四重奏、サクソフォン五重奏、八人の声楽家のためのballata。後者はa radiophonic documentary for five actorsと副題にある。

『FOLK SONGS』のようにフレンドリーな表情は見当たらないので連続して聞くにのを躊躇う。ここでは任意の主題を収集したのでなく、作曲当時の世界中の技法を収集した感があるからだ。つまりどちらかといえば専門家向けの作品というわけだ。
いや『FOLK SONGS』がベリオ作品中ユニークな存在なのだろう。

ベリオの作品タイトルがなにがしかの意味を想起/連想させ、聴衆にドライヴを掛けてると思うので文学的と思うのだ。その罠(呪術)にまんまと乗ってしまうのが正しい聞き方だろう。そう出来ない時には服用を控えた方が良い。
なぜって日常的な感性からすると、あまりにバーバルな表現が過ぎて理性に支障を来す場合がありそうだから。
ここにあるのは仕掛けられた「野蛮」だ。だからといって理性を解放しろと主張してるのではない。もしかしたらモンティパイソンと並列しても良いだろう(?)。


ネット上の解説記事−−−−−−−

GOLIJOV

おやぢの部屋2 GOLIJOV/Ayre

メーカー日本サイト試聴あり:
「虹を見ているよう」なアップショウのニュアンスに富んだ美しい声による世界初録音。

連載 第三十九回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル2006年1月号
アメリカに距離を置く南米と中東
浅田彰
音楽に戻ってもうひとつだけ言うと、カーネギー・ホールでかつてバレンボイムとサイードの公開対談(『音楽と社会』みすず書房)を企画したアラ・グゼリミアンが、ドーン・アップショウっていうソプラノ歌手のために、オスバルド・ゴリジョフっていう作曲家に委嘱した「エール(Ayre)」っていう作品が、最近CD化された(ユニバーサル)、これもちょっと面白い。アルゼンチンに移住した東欧系ユダヤ人家庭に生まれたゴリジョフは、ポストモダン折衷主義って感じの作風で、ぼくは必ずしも評価しないんだけど、今回はその折衷主義がうまく生かされてる——っていうのは、この作品はユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混在してた中世のアンダルシアを主な背景として、そういう様々な伝統に属する昔の歌を現代の音楽とコラージュする形でできてるの。パレスチナの詩人マフムド・ダルウィシュ(去年公開されたジャン=リュック・ゴダールの映画「アワーミュージック[われわれの音楽]」にも出演してた)の詩が朗読され、ユダヤの祈りの歌と重なったりもする。グゼリミアンはライナー・ノートにサイードの言葉を借りて「諸文化の対位法」ってタイトルをつけてるけど、ややルースとはいえ、一応それにふさわしい音楽と言えるんじゃないかな。

松岡正剛の千夜千冊『黒い皮膚・白い仮面』フランツ・ファノン

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Comments

『コンピュータは人間を進化させるか』
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

Posted by: katute | 2006.10.04 05:13 PM

ex-formationに、ストルガツキイ兄弟の「そろそろ登れカタツムリ」を思い出す。

Posted by: katute | 2006.10.13 04:38 PM

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