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2007.01.17

面白い記事だが世間は認めないんじゃないか?

そうなるとパレスチナは約束の地ではないんじゃないか。
イスラエルの主張も怪しくなってしまうのか。
(いわゆる「陰謀説」には、ホロコーストは戦後イスラエルがでっち上げたデマとするのもある)
>そこまで行くと、普通にトンデもになるけどね。

via>ブナ林便り2007年01月12-15日 圧縮版

●アラビア・ニュース  齊藤力二朗arabianews@yahoogroups.jp
★★、「全文の再転載禁止。記事見出しとURLのみは可」★★

★0111 発掘で覆ったモーゼの出エジプト記やユダヤ人のパレスチナ征服物語

過去30年間の遺跡の発掘によって、旧約聖書のトーラー(ユダヤ教の聖典、モーゼの五書。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を指す)は歴史的事実とは合致せず、複数の作者が異なる時期に記述したものが集成され、8世紀に現在の形にまとめられた神話だということが考古学界の主流の考えになっている。12月14日付のミドル・イースト・オンラインが報じた。
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レバノンのベイルート・アメリカン大学教授である研究者のヘレン・サーデル博士(女性)は、ユダヤ人がパレスチナを侵攻したとかエジプトに居住していたというトーラーの記述と異なるのが現在の考古学界の主流だと語った。同博士は、過去30年間に発掘された出土品によって、所謂「イスラエル民族のカナン出現」を見直させる新情報が得られたと語った。

これらの情報は、「イスラエル人が一つの民族としてエジプトに居住し、モーゼに率いられそこを脱し(出エジプト)、12種族であったと描写される統一集団としてヨシュア・ベン・ヌーンに率いられてパレスチナに入り、一度の戦争で同地を手に入れた」とする記述の見直しを迫っている。

トーラー中の記述は、イスラエル民族がカナンの国にやって来て居住したことを、このように説明している。トーラーには、ヘブライ人が占領したと言われる都市が全て記されている。学者らはこれまで、トーラーの記述を歴史的な枠組みの中に位置付けようと試みて、トーラーでヘブライ人が建設したと記述されているラムセスの町を建設した当時のファラオは誰であったかを見るためにエジプト史を調べた。

「出エジプト記」の第一章では、「 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラムセスを建設した。 しかし
(エジプト人は)イスラエル人を恐れ、エジプト人はイスラエル人を力ずくで奴隷にした」とある。

しかし、ラムセス二世は紀元前13世紀後半の人物であり、エジプトの史料ではラムセス二世が建設したと記述されているラムセスの町という名前がトーラーに登場することから、これを歴史的な枠組みとし、イスラエル人のエジプト脱出の物語がその中に置かれた。

サーデル博士は、これが第一の枠組みであり、かつては受け入れることができる内容だったが、「一方で我々は大『衝撃』、近東全域を襲った危機があったことを知っている。近東(現在のシリア・レバノン・パレスチナ)ではその影響で、ヒッタイトなど紀元前二千年紀の文明が全て滅亡し、『海の民』と呼ばれる集団がパレスチナや海上からエジプトに侵入、パレスチナ南部の沿岸にいくつかの都市を建設した」と言う。

同時に、これらの人々がシリア・レバノン・パレスチナの海岸部の文明を破壊し、古代アラム人が侵入し、シリアにアラム人小国家群を建設した。イスラエルの諸部族はパレスチナに侵入し、紀元前二千年紀のカナン文明を終結させた。

サーディル博士によれば、これが従来の見解だ。だがこの見解を揺るがす最初の衝撃はトーラー学者自身によってもたらされた。特に、ドイツの学派は、トーラーを批判的に読めばパレスチナの侵略は起こっていないことが明らかだと言っている。

トーラーにはユダヤ民族のカナン到達を記述した物語がいくつかあるが、その中には二つの反対の内容を持つものがある。一つはアブラハムはイラクのウルからやって来て、パレスチナに居住したという話で、もう一つは「出エジプト記」の物語だ。つまりトーラーには複数の物語が採録され、作者は一人ではなく、異なる時期の記述が集成され、8世紀に現在の形にまとめられたものである。

トーラーの各書、特に「出エジプト記」はイスラエル人がバビロン捕囚から解放され帰還後に書かれたことが明らかになっている。サーディル博士によれば、これらのトーラーの物語は記憶が失われてから長期間経た後に自分たちの出自や起源を説明する点で、全て「神話」に近いものだ。

サーデル博士は、「一方、文献資料は宗教的信条とは無関係だ。ドイツの学者たちは初めてこの問題をこのような方法で分析した人々だ。この『周縁』地方を往来し、そこに住み着いたいくつかの支族の物語に過ぎないと彼らは考えている。これが、トーラーに記述されているイスラエル人の物語への最初の『揺さぶり』だ」と語った。

第二の「揺さぶり」は、トーラーの記述が歴史的事実かどうか確かめようとしたトーラー専門の考古学者らによって引き起こされた。彼らの研究結果では、イスラエル人が占領したとされている都市の跡が全て、新青銅器時代の地層から発見されていることが明らかになった。するとイスラエル人がその時代にはそこに住んでいなければならないことになる。しかし、そのことを確証する遺跡は発見されなかった。

この最大の例として、「エリコ」の町の占領と町の周壁の破壊についてのトーラーの記述が、事実と異なっていたことが挙げられる。エリコはその時期には既に放棄された町で、「ヒルバ・アッタッル(丘の廃墟の意)」という名でも知られていた。つまり、エリコは当時存在していなかったのだから、占領の対象にもなりようが無かった。

一方イスラエルがヨルダン川西岸地区とパレスチナ中央部を占領した1967年以降にイスラエル人の学者たちも掴んだ、レバノンの学者たちが「決定的証拠」と呼ぶものがある。彼らがカナン人が居住した平野部や中央の山地などパレスチナ全土をくまなく調査した結果、発見したのは大都市ではなく、入植地とか農村跡とでも呼べる数百もの小さな遺跡であったのだ。

彼らが入植地で行なった発掘の結果、「生活方法は過去から変化しておらず、歴代の居住者たちは文化の断絶を経ることなく、以前の文化を発展させて続いている。都市の生活は2世紀の間中断されたが、代わりに村落の入植地が繁栄した。入植地の人々は農業のやり方を知っていた。つまり彼らは遊牧民ではなく、その土地に代々暮らしてきた人々だった。入植地には、遊牧民や半遊牧民、都市民など様々な社会的階層に属する人々が集まったと言われ、不安定な時代に入植地で共に暮らしていた」ことが明らかになった。

これらのイスラエルの学者たちが導き出した結論は、他の民族が新文明をもたらしたのではなく、この民族が自己完結したということだ。その後、これらの入植地に安定が戻り、徐々に入植地の代わりに都市が建設されていった。

トーラーはイスラエル人が何世代もエジプトで暮らしたと記すが、イスラエル人の存在を示すエジプト史料は存在しない。ただ紀元前13から12世紀のファラオ「メルエンプタハ」のものとされる文書があり、その中に「イスラエル」に勝利したという記述があるが、この「イスラエル」という用語は、イスラエル人を指すとする説と場所を指すとする説に分れる。他のエジプトの史料には「イスラエル」の記述は見られない。パレスチナとエジプトの関係は数千年以来続いたにも関わらず、エジプトにイスラエル人が居たという証拠は無い。

イスラエルの学者ら、特にテルアビブ大学の学者らは、考古学の研究を通じ、トーラーで述べられているようなパレスチナの征服は行なわれていないという結論に達した。その証拠はパレスチナの文明の連続性だけでなく、経済や社会の状況からも説明される。

これらの移行期の後にユダ王国とイスラエル王国が建てられた。このことはアッシリアやバビロニアなどのトーラー以外の史料にも記述があり、両王国が歴史的に存在したことは疑いない。住民は多神崇拝のセム人だった。一神教はそれより後の時代になって出現した。

各種史料からユダ王国の南部で広まったこの集団に独自の神という思想が読み取れる。一神教は紀元前6世紀に生まれ、バビロン捕囚からの帰還した人々がトーラーの物語を書き記すようになったことで定着した。現在学者は、この遺跡重視説と、トーラーの伝統解釈説に割れている。

http://www.middle-east-online.com/?id=43577

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