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2007.01.24

フラント・ディンク

特殊な事情によるとしても、新聞を始める意図が切実に感じられる。
本人による絶筆となったコラムを読むと、若干の混乱と不器用さを感じるが、世界と向き合う姿勢が信念に基づいてることを強く感じさせられた。


フラント・ディンク最後の言葉-殺害前日ディンク自筆書簡全文

以下に、生い立ち部分を引用

2007-01-19 トルコのアルメニア語新聞発行人ディンク、自社前で暗殺(Radikal紙)

■孤児院で育つ

2人の子どもの父であるディンクは、1954年9月15日にマラティアで生まれた。両親は1961年にマラティアからイスタンブルに移住した後離婚した。フラントと2人の兄弟は両親の離婚後、ゲディクパシャにあるアルメニア人孤児院に預けられた。高校を卒業後、イスタンブル大学理学部で動物学を専攻した。しばらく後に孤児院で一緒だったラケル夫人と結婚した。

兄弟とともに始めた出版、文具の仕事を続けるかたわら、ラケル夫人とともに自分たち同様アナトリアからやって来た孤児や貧しい子どもを育てるトゥズラ・アルメニア子どもキャンプの運営を始めた。いくつかのアルメニア人向け新聞に書評を載せることで執筆生活をスタートさせたディンクは、マスコミの誤った報道の間違いを指摘することでその名が知られるようになった。(アルメニア正教の)総主教に「アルメニア人社会はとても閉鎖的だ。自分たちのことをよく説明すれば誤解が解ける」と話し、この目的に従ってトルコ語の新聞を出すことを提案した。1996年4月5日に創刊号が発行されたアゴス新聞の創設者となり、総発行人、主筆を務めた。アルメニア人の祖地離散に対する1915年の事件を「大虐殺」という言葉を用いないより柔軟な反対運動の呼び掛けを行ったディンクは、2005年10月に「トルコ人であることを侮辱した」という理由で6カ月の懲役刑を受けた。

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