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2007.05.20

音楽雑記

ここしばらく、この二枚を何度も繰り返し聞いてる。これまでの聞き方が通用しないからだろう。
互いをメタテキストとして聞いてしまうのがいけないのかも知れない。
互いの影を濃くするに他に方法が今のところ思い浮かばない。

Edith Canat de Chizy(1950-):Moving (AECD 0210)
Bruno Mantovani(1974-):Troisieme Round (AECD 0315)

前者は弦楽器のための作品集で、ソロではバルトークの書法に影響されてるが、他は文化の違いだろうか。濃密な音響の作り方が面白いと思った。他の作品も聞いてみないとそれ以上は言えない。

後者のタイトル曲は「第三ラウンド」ということか、立ち上がりは秒を刻む木管に乗って、情景的で視覚化されたインスタレーションが見事。その先はモーフィングするように現代音へと移行する。でも結局はどちらかが倒れるのだが。
先の音盤を聞いた後では、音の隙間(?)が気になるが、身振りに目を奪われる。
次のLa Morte Meditataはウンガレッティの詩を6つ歌ってるけど歌曲ではない、音楽は器楽アンサンブルが主で、詩は従だ。減衰と残響と新たなハーモニーの模索。
そんな訳で、もっと聞いてみないことには判らない。

あるいは、さっき「美の巨人たち」でターナーの死後発見された作品にまつわるエピソードを、番組講釈を差し引いて理解したことと関係するかも知れない。
ターナーは画家としての生涯の大半をリアリズムの追求に費やした。
しかし円熟期に差し掛かり目に見えるマテリアルを描くだけでは満足できなくなっていた。または、それ以外の存在を認識することで絵画の枠を広げようと、冒険へと繰り出した。自身にもまだ、その意味は解らないにもかかわらず。
科学的自我の目覚めを準備したか、実践主義だったか。結果ロマン主義的だけど、方法は手探りで実証主義的だったような感じがする。推測的感想だけど。
>そうかな?あれはあれで、現象主義的なリアリズムだと思うけど。

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