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2007.05.04

新聞読まなくなった宣言を考える

最近やたらと新聞を読まなくなったという発言をブロゴスフィアで見かける。
アナウンス効果もあるだろう。
代表的な発言を拾って考えてみた。

毎日新聞がソフトバンクに買われる日

これは新聞とかジャーナリズムの話でなく、新聞社企業の在り方への提言、それも毎日新聞限定の。

新聞社が前回、技術革新の前で身震いした時のレポートとして名高いのは、第17回大宅壮一ノンフィクション受賞の、杉山隆男『メディアの興亡』だろう。紙面製作のコンピュータ化と経営再建モデルを提示して、近年まで高い評価を得てきた。

ネット全盛の昨今では、コンピュータ化では歯が立たないご時勢だ。

「新聞は瀕死状態か?」 英、仏、米の試み

ここにレポートされてるのは、各社の対応努力で、オンラインと紙に分けてる。
報道と企業のビジネスモデルは分けて考えるべきというのが自分の考えだで、思い返せば、新聞と雑誌、活字と電波という構図があった。
速報と解説、調査と総括、など役割が別なのだし、どのタイミングの情報を欲するか、需要が異なると考えるべきだ。
メディアのプラットホームに合わせたローテーションは、働くものの気持ち、仕事が楽しいか?だけでも十分だろう。
そうした議論のため参考になるレポートだ。

日本ではセグメントが出来上がってないと考えるほかない。
積極的健忘症が流行中だから。

だけど、新聞は何を売ってるのか?考えれば答えは簡単で、情報記事だ。
現状どうなってるかはここで知ろう。

日本の新聞経営基盤を理解する上で欠かせない、佐野眞一『巨怪伝』。
黒薮哲哉:新聞販売黒書

日本のジャーナリズムは何をしてるのか、いつどこで躓いたのか。

元毎日新聞記者西山太吉氏の訴え

これは偏った考えだろう。
日本のジャーナリズムは公平で社会正義のために戦ってるはずだから。

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Comments

いやぁ酷い。メチャクチャだ。

整理して考えれば分かることだが、活字文化の代表選手はなんと言っても「新聞」じゃないか。
活字離れが進めばマテリアルとしての「新聞」だって意義を失うじゃないか。
それだった前世紀の遺物にしがみ付いてる慣性の法則で、過去の成功体験から「新聞」が存在してたに過ぎないのだとしたら?
そして皆が気にしてるのは「新聞」自体ではなく、ビジネスモデルだったり、習慣の変化だったりするんだ。

テレビが無料でコンテンツ垂れ流してるという人もいるが、それは広告費が賄ってる擬似無料でしかない。それをモデルケースに据えるのは、賛成しかねるが、現時点で他に解決策がないというのが大方の意見だ。それはそれで仕方ないとしても、短絡的解決として直結して考えるのは、まだ時期尚早で具合が悪いだろう。

あるいは、もちろん時流に左右されて部数変動はあるものの、需要が衰えない「新聞」を探すなら、専門紙だろう。
マーケットは以前からマルチターゲットとして大味で存在してなかったという、再発見なのかもしれない。

Posted by: katute | 2007.05.08 05:30 PM

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