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2007.05.08

『NEXT』第四章

いつもの通勤電車に葛西臨海公園へ向かう子供たちが乗り込んで来なければ今朝読み切ったであろう、そして誤字脱字をひとつずつ見付けて集中力が萎えていくその先でポー・ブロンソンが現れて一息つくことにした。




"ネクスト" (マイケル ルイス)

この本はマーケターよりも硬派な現代文学として読むのが適当かと思う。
テーマに沿った情報ハイウェイをブッ飛ばして行くのでなく、GoogleMapsをグリップしてスクロールする感覚に近い。それは東洋の神秘を加味するなら絵巻物と言ったところか。フレームに見える区画が物語エレメントで、それぞれの必然的結束は緩く、どんな目的地へと向かうのか心もとない気もする。
それでもマイケル・ルイスの、物語る人格の明確さによって読者はユビキタスな追体験をする。大抵はスットコドッコイな連中を目の前にして現在と未来を左右の目に捉えてる、そんな奇妙な感覚を持って。
だから、彼のストレートな表現が妙にイラストレイテッドされて視覚に訴えると未来を見た気になってしまうのだろう。

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Comments

この本はなんだろう?
子供でいることを失う。
未来を封じることに賛成しない。
NEXTとは何?現在と未来を測るオーディション?
定刻運行する技術に護られた日常の中で最小限感じる獣性について考えてみる。
イデオロギーではない経済システムとしての社会主義と資本主義の共進化で起こったカリバリズム。
しかしマイケル・ルイスは革命を読者に期待してるのだろう。
ただそれは梅田望夫を通じて日本に知らされたものではない気がする。理念やビジネス・モデルではなく、もっと鋭くリアリティある生活の中での変革だ。
ともするとネヴァーランドで括られる自由としてのオタクを極めることのように受け留められがちな、次世代讃歌のように考えられてしまうのは、陥りやすい罠だ。
子供はネヴァーランドで生きたいと願わない。子供は既に大人であり、だから大人として振る舞うことを望む。
ならば『NEXT』とは何か?

Posted by: katute | 2007.05.09 at 08:36 AM

共有する情報と経験の差異が、ピラミッドとパンケーキと表現されてるけど、それは年齢層や地政学的な物ではなくなりつつある。
つまりは共通の議論を展開できなくなりつつあるって事でもある。

Posted by: katute | 2007.05.09 at 06:07 PM

ここのTrackBackは、コンテンツスポイラーじゃないのか?

そうではなく、ここに議論を加えてるならもう少しサービスしてやろう。

世の中には、ピラミッドもパンケーキもひとつっ切りしかない訳じゃない。任意のピラミッドとパンケーキが無数にあって、それらの組み合わせだけ村人たちが存在する。

Posted by: katute | 2007.05.11 at 11:26 AM

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