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2007.08.19

BEAT FURRER祭

どうした感性で臨めば良いのかな、映像的な情景はいったん排除して音だけを聞く以外は何もしないでいると、結構濃密な時間が過ぎてるのに驚く。
時間の長さは楽しさと反比例するとは言われるけど、長いからといって退屈な訳じゃない。

54年に生まれたこの作曲家は上の世代に比べれば音が薄い、隙間が多い気がする。いや音はたくさん鳴ってる、けれど戦中派(こういう言い方が適切かは判らないけど)がダウナー系だったとすると、この人は水平方向なのかな。
聞き込むほどに味が出るタイプで、一回聞いただけの印象ではフラフラした音が繰り出されるなぁといった感じだ。

何かのイメージが必要だというなら、聳えたつ峰の頂に据えられた小屋に吹き付ける強風の世界。止んだかと思えば足元も覚束ないほど激しく吹き付ける様を思い浮かべられる。

80年代後半からの作品なので40代を境にして作曲された作品ということで、KAIROS 0012062KAI,0012272KAI,0012322KAI,0012382KAI の4枚の内、声楽がらみが特に面白いかな。
フルートとピアノの小品ではピアノがペダルを踏まないらしいのが新鮮で、内部共鳴がキレイだ。

初めて聞くと、技法的な新しさが見当たらず楽器法が堅苦しく感じられる、ドイツ気質の生真面目さなんだなぁ、と。
繰り返し聞いてると理論的なスタイルだと気付く反面、この人は自分の足元がないって感じるようになる。それが山上の強風世界を連想させるんだろう。
まぁ実のところ楽器を痛めそうなピチカートが山盛りだったりするし、フルートは忙しなく息継ぎしてるので、体力勝負な作品かも知れない。
音響や音色に興味が向いてる自分にはじわじわと染み入るような音楽に思える。

それにしても、この足元がないという感覚は何処から来るのか?
ベアト・フラーはスイスに生まれ二十歳でウィーンへ行き、30で指揮者として作曲家としての地位を確立したらしい。自身の演奏団体を組織して、オペラを連作してキャリアを始めたようだ。

ドイツ生まれじゃなかったのは残念だ。

クセナキスのようなピアノ曲を期待したけど、もっと集中力のある作品を今後に待つしかない。

どれがお薦めかというなら今の所、聞いた回数の多い順でもないけど、前者二枚かな。

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