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2007.08.18

ヌーヴォーロマン?

出版後しばらくしちゃんとした書評を見なかったが、チラホラ現れてる。当事者でないため共感に留まるので、理解の深度を求める訳には行かないだろう。

残念ながら、無視するのが良いと決め込んだのか、右寄りからの書評は、まだ見ていない。

自分の中では、まとまらないので、メモだけ。

鈴木道彦『越境の時―一九六〇年代と在日』の実存哲学的文学の轍から思うとやはり、これはエッセイでもなく小説でもなく歴史論文でもない。ヌーヴォーロマンである(ル・クレジオ『調書』を読まなくては)。

それは、これにも相通ずる。
問題の本質を捉えるには、多様な立場が存在するので、
以下、斜めに勝手引用する。


テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる

 ところが、ジュネーブのこのファイルに保管されている山のような書簡は、在日朝鮮人の一団による最初の運動よりかなり以前の日付に始まっているうえ、ほとんどすべてが日本側から発信されている。
 これらの書簡によれば、すでに1955年9月には、日本赤十字社の使節が赤十字国際委員会に在日朝鮮人の問題を提起し、その後に展開される帰国をめぐる交渉の前触れとなっている。1956年春にはすでに日本の官僚が六万人の“帰還”について語っているし、日本赤十字社は極秘裡に船舶会社としきりに連絡をとって、“帰国者”を北朝鮮に運んでくれる船を探していた。
 書簡に使われている語句にもわたしは混乱した。「人道主義」「朝鮮人の福利」「帰国したいという在日北朝鮮人の深い思い」といった語句のあいだに、在日朝鮮人は「きわめて粗暴な性質」で、日本社会で「第五列として活動している」といった日本赤十字によるショッキングな表現が散見される。ある日本赤十字幹部からの報告には、「これまで日本は少数民族問題をかかえたことがなく、対処法についての知識に欠けている」とある。
(ジュネーブ、夢の町 40ページ)

 悲しいかな、赤十字国際委員会には日本で独自の調査をする手立てがなかった。たったひとりの代表であるハリー・アングストには、日本政府から提供された事実を独自に確認する時間も、そんなことをする気もなかった。
 それでも、国際委員会にすでにあるファイルをじっくり読み返していたら、いくつか警鐘を鳴らすことはできたかもしれない。
 たとえば強制労働の問題については、すでに三年前に井上益太郎本人が長文の報告をまとめ、日本政府の明確な承認を得て、ジュネーブに送っている。この報告は国際委員会に、25万人の朝鮮人労働者が「募集によって(つまり、徴用労働者として)」日本に入国したこと、さらに、365,263人の朝鮮人が日本軍によって軍人や軍属として召集され、「その多くが終戦時にこの国にいたと推定される」と知らせていた。これに加えて、1942年から45年のあいだに、52万人が「契約によって」日本国内に送られた。
(ジュネーブからカルカッタへ 250ページ)

 赤十字国際委員会の機関誌 Revue Internationale de la Croix-Rouge を読んでいて、1957年10月のニューデリー会議の開会演説を見つけた。インドのネルー首相によるこの演説は、驚くほど長くて熱っぽく、冷戦と、共産主義陣営との“共存”と呼ばれるものの限界について、真情あふれる批判をしている。ネルーによれば、共存が平和の追求になっていないことがあまりに多い。それはむしろ敵意ある疎遠さであって、一方の側の恐れと憎しみが、もう一方の側に恐れと憎しみを掻きたてている。
 共存は別の種類の暴力をおおい隠すこともした、と付けくわえていいかもしれない。力の均衡を保つために、両サイドの力ある者が陰で手を組み、事実上のパートナーとなって、力のない者の権利を踏みにじった。
 帰国の物語を追いながら、わたしはともすればひとつの説明を、あの苦しみの責任を負わせるべきだったひとりの犯人を、探しがちだった。しかし、北朝鮮への帰国は、究極的には冷戦の分断線をまたぐ暗黙のパートナーシップによる創作だった。すべてのパートナーが同程度にそこには関与していたわけではないし、結果についてもすべてのパートナーが同じ責任を負っているわけでもない。それでも、こうしたパートナーの静かな協力がなかったら、1959年12月以降の出来事はおこらなかっただろう。
(“沈黙”のパートナー 255ページ)

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Comments

その逆も然りだが、例えば毎年首相官邸に陳情にやってくるパラグアイ移民訴訟団は『北朝鮮へのエクソダス』を読んで何を思うだろうか?と考えてみたくなる。
また、日本でも珍しく激烈な戦いが続いた成田の歴史を思うと、既に過去となっている、これこそが勝者の歴史生成過程かも知れない、と考えずにいられない。

Posted by: katute | 2007.11.05 01:38 PM

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