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2007.10.14

ズレを聞く

早坂文雄;ピアノ協奏曲
ラヴェルとブルックナーを想いながら長い序奏に耳を澄ます。
知識としてブルックナーの交響曲は知っているし、ラヴェルのピアノ協奏曲の技術も知っている。
そこから交響曲を立ち上げようとするのかラフマニノフをやってみようとするのか、そうした様々に去来する想いを味わえば良いのだろうか。
曖昧模糊としているというよりは、無限の平野を統合する術を求めているような、果てしのない業を感じる。
映画音楽で生計を立てていた早坂の描写力は確かで、心の襞を繊細に映し出すようだ。
それでも映画に学んだ人間感情であっても、それだけでは十分でないと、この音楽は語っている。
>伊福部昭の伝記を読んでいた頃を思い出す。

EDITH CANT DE CHIZY ; LES RAYONS DU JOUR
以前に聞いた弦楽器のための室内楽が面白かった記憶があり、それの先を知りたかった。
けれど、もう以前の自分ではない。聞き取れる間合いが、悉くズレてしまい、もはや私の耳は、迂闊な尺で繰り出される安易な提示は全てお喋りな無駄口を叩いているようにしか聞こえなくなっていた。
ソロであろうと合奏であろうと、ましてやオケとの協奏曲であろうと、それはモノディであり独り言が過ぎる。

もう少し時間が経てば、これらの作品は懐かしい響きを帯びて聞こえてくるようになるかも知れない。。。

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Comments

おそらくこれから歴史的に批判が始まるのじゃないかと主けれど(それほど注目されてないか?)、伊福部昭は明治の、大政奉還した、サムライだったと思う。豪胆な潔さを感じるのだ。

Posted by: katute | 2007.10.18 11:30 AM

早坂文雄;ピアノ協奏曲 の2楽章はプロコフィエフ追随者がストラヴィンスキーするのだが、毒がないだけ精気が足りない。

EDITH CANT DE CHIZY ; LES RAYONS DU JOUR
思えば、これは60~70年代に日本の作曲からが海外をまねて書いていたような書法だ。現代のことは爺様に習えってか?

Posted by: katute | 2007.10.19 10:31 AM

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