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2008.04.05

日本近代史を考える

外交において謝罪はすべからく敗北を、謝罪相手への賠償と従属を、表す。
そのようの考えられているらしい。
本当だろうか?
敗北ではない謝罪はありえないのか?
むしろ、敗北ではない謝罪を模索することこそが外交ではないのか。

近代史には不可視な部分が多く、自分自身の理解も知識も欠如している。

平易に歴史を俯瞰できないだろうかと、その方法を考えてみた。
その時代、時代のエポックが目指した方向性のベクトルを並べて見れば、あるいは歴史推移が判るのではないか。そう思ったのは後知恵で、単なる思い付きでしかない。

昭和が既にして世代の断絶に見舞われてるのが不思議だ。乱暴だが、戦前戦中戦後、それ以降。そのように昭和という時代が分裂してるのは何故か?

江戸を懐かしむ理由というのは、その百花繚乱な文化ではないか。輩出した人材の幅も裾野も広く、驚くばかりに豪胆だ。
鎖国時代というなら人々の関心が内向きだったからこそ生まれたと言える。
明治維新は江戸を殺した。明治は江戸を殺すための時代だった。鎖国だったはずの日本にオランダ人が住んでいたし、黒船来航したペリーは詳細な日本の調査資料を持ち帰った。日本初の会社組織は外資援助を受けた武器輸入商社だった。
それらのことを思い出そう。

明治が江戸を消尽することで近代国家へ仲間入りできたと意識改革することで外向きになった途端に外地進攻を目論む唐突さ。
そして昭和と供に戦争が始まる。
平成の現在から昭和を見れば、平成とは昭和を打ち消そうと、その時代の行いを自己否定できないがための拒否反応であり、開き直りの肯定でもあるが、根本は、無かった事にしようとあがいているのではないか。その無駄なエネルギーのとてつもなく大きなこと。その無駄にされるエネルギーが惜しい。

自己の葛藤を乗り越え、仲直りも出来るんだよ、という大人の余裕を見せられないものだろうか。

現在の政治システムは、都道府県の単位では地方の行政を完結できないらしく、上層組織としての国という政府機関が、税収による予算管理を牛耳っている。政府機関という行政組織は地方単位の生活と掛け離れた施策を実施するために存在するかのようでさえある。

細部を充実させた記述が望ましいけれど、疎ましくなるだけだろうから、この辺で切り上げる。

戦略なき戦術。

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