読了『数学でつまずくのはなぜか』

小島 寛之『数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書 (1925))』
一応、6/1くらいには読み終えていたのだが。
目次
第一章 代数でのつまずき -規範としての数学-
第二章 幾何でのつまずき -論証とRPG-
第三章 解析学でのつまずき -関数と時間性-
第四章 自然数でのつまずき -人はなぜ数がわかるのか-
第五章 数と無限の深淵 -デデキントとフォン・ノイマンの自然数-
まとまらないので、メモを出してしまう。
22ページ辺りの「記号の約束の問題」。特に、中学の代数の初めの導入で、ここに引っかかる事は多いようだ。実例で学習する事が返って害になると言う研究も最近出たようだけど、関連があるのかもしれない。発達障害児の場合にもここは問題とあるが、本当に、ここを乗り越えるのが難しい障害もあるようだ。
28ページの、自由な数学と規範としての数学。この問題は、役に立つ立たないという議論(後述されているが無視することにする)の枠を外す試みと読んだ(曲解しているかな)。規範としての数学が、強制によって子供達から嫌われている現実はあるのだし、TVCMでもそうやって煽ってるけど、それとは違って、小島氏は、自由な数学の姿を見せる事で答えているように思う。
36ページの「能力と障害」、アフォーダンスとの絡みで気になる。ここは未消化な感じがするが、文字式はソフトウェアみたいなもの、は良い線突いている(というか、ゲーデル、チューリングだよね)。2次の代数(2次式展開を面積計算でとか)と割り切れないものの深淵から、ウィトゲンシュタインを引いて、循環性、そして、数学が何らか、考える者の内から出てくるものという感じになっている。いい。
(勝手な感想だけど、未来に通じる不完全性定理、かな)
ギリシャとバビロニアの証明観の違い。わかりきったことをなぜ、という子供達のつまずきのもと。この話は、いつも、そうだよなと感心する。
99ページのコックロビンゲームで論理的な思考を確認するのは良い手法。いつか取り入れるつもり。
154ページ、ここから難しくなる。『次を数える派』(帰納法、クロネッカー)と『対応派』(遠山啓)。これは、自然数論(帰納法)が、まともに出てくるのを、どうやって、納得させるかなんだな。
ついで、天才少女の話は、169ページの「数学する」というアフォーダンスを想定すると、理解しやすいという話。
178ぺーじのペアノの自然数論。これは一般的話題じゃないけど、数学科ではやっと当たり前になってるのかな。
193、いよいよ、フレーゲ。ここで出るか(でも、出番が少ない)。フォン・ノイマンの超限基数は難しすぎるんじゃ。デテキントの切断も。
だが、226のデテキントの無限の話は、一般人には、ぶっ飛び過ぎの数学の例だな。でも、疑いようも無く良く出来ているんだけど。
色んな評が出ていて、面白い。こことかは、かなり、自分に近い感じ。そう言えば、著者は「高校への数学」の著者でもあるんだった。
ただ、同意しないとか、そう言う価値観はおかしいとか、妙に的外れな事を書いている人もいるのが不思議だ。
自分は、自分が数学でつまずいた場所は判っている(と思っている)し、この本の主張する所は語り得ないものを語る所にあると思っているので、わざわざ、著者が主張していない事を問題視する態度が解せない。
例えば、数学が役に立つか立たないかの立場を説明した部分を曲解しているような人もいるし。
まぁ、それはそれで面白いけど。
ちなみに、今(6/12現在)は、清水 義夫『圏論による論理学―高階論理とトポス』を電車中で読んでるが、血中のブドウ糖分を激しく消費するらしく、5ページと進めない。
デカルト閉圏が計算可能性について研究されているってところで、脱落するかもしれない。
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