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2008.10.03

CD試聴記

プチ・アイルランド特集。

正直、音楽が頭に入って来ない。不思議に感じるのは、音楽の目的が他のヨーロパ諸国とは異なるのではないか。

mad sweeney — frank corcoran
大雑把に言えばこのアルバムは、主にアイルランドの伝承を音にしてる。
Mad Sweeney
アンサンブルと作曲家自身の語りで古き王の人生が語られる。晩年に変調を来したらし、こう呼ばれる。
Music For The Book Of Kells
次の曲は打楽器に挟まれて作曲者が鍵盤打楽器としてピアノを弾いてる。
Wind Quintet
管楽五重奏曲は大気に対する音楽。これを聞いてようやくに、そういうことだと理解する。ポリフォニーはなく、出来事はひとつずつ起こる。
Sweeney's Vision
最後の曲はミュージックコンクレートで、冒頭の曲を四楽章の交響曲に焼き直してるという。
これは、パビリオン音楽だ。
舞台やホールで形式の美学を競う類ではなく、直接にもっと感覚に訴えようとするもの。
ほぼサブテキストを想定して、こうした空白の力を表現するのが独特な作風と言えるだろうか。
音楽自体が直接対象を表現しない分、そのサブテキストを暗示のように想像させるもの。
空間を移動するように音が経過すると仮定すると音楽が全身に浸み入る。

gerald barry : solo and chamber works
Things That Gain
最初期の作品で「ものは づくし」だろうか。原本のどれに当たるものかは専門家に任せるが、こうした文学趣味が高じて(?)80年代を通じてラスキンのエッセイに基づくオペラの制作に励み関連する作品を多数作り出している。「清少納言『枕の草紙』写本」からのピアノ独奏でKevin
Volansが弾く。キータッチがマッケイブとは異なる音色がする。
String Quartet No,1
弦楽四重奏曲はアルデッティに書いたもので、ソロとトゥッティを繰り返しながら奏法の異なるフレーズを挟み込んでる。どちらかというと線のような響きが何処か吹きつける風みたいだ。
φ for two Pianos
作曲者とケヴィンとのデュオはたっぷりと間を取って音がやがて聞こえる。こうしたスタイルが作曲者の得意らしい。タイトルは正確にはファイではなく、ロスコーで見たサインにインスピレイションを得たそうだ。
Water Parted
カウンターテナーが歌う分水嶺(?)。これは前のピアノ・デュオの声楽を被せたような仕上がり。
Five Chorales
もう一度作曲者とケヴィンのデュオは、オペラThe Intelligence
Parkから取られた。この前と弦楽四重奏曲も。作曲者はオペラ作曲の狙いを、テキストに音楽を発見すると同時に音楽にテキストを発見するということのようだが、オペラ自体を聞いてないので意味する所を理解するものではないけれど。
Before The Road
ラジオ劇のための音楽らしい。サックスでもと思うところをクラリネット四重奏にしてる。たしかに大気の感触がある、ケヴィンが共演する同質性がある気がする。また音楽が先にあったというから前の曲同様にコトバの力を必要とするスタンスで音楽を発表してることになるのだろう。あるいは素直な野性との差異を感じるのは偽装された野蛮を纏った音楽だからか。
Piano Quartet No.2
ピアノ四重奏曲。少年期の記憶の中のショパンのワルツに乗せて盛大にクラスターが叩き出す所から曲は始まる。その隙間に風が吹き付けるような感じ。
自分としては、これを聞くのに複雑さを必要としないので簡素なまま大気のような魅力的な音楽であってほしいと願う。

Gerald Barry: Orchestral Works
オーケストラ作品集とされてるが、大きめのアンサンブルのための作品集で、音楽だけを純粋に愉しむ領域を越えてるように思う。
こちらを先に聞いた方が室内楽理解に役立つだろう。
アルバム全体は、クセナキス手前のクラスター音響で独自の音色を醸してるのが特徴だろうか。楽器間の音色を繋ぎながら異常なほど大音響への固執もみせる。
おどけて見せるのは、単純な形式と思わせる罠だ。
Of Queens' Gardens
プルースト=ラスキン『胡麻と百合』の、「百合──王妃の庭園について」。
テーマを提示して展開されるのはオーケストラのためのトッカータだが、これはフランドル楽派のプレリュードの流儀だろうか。それをラスキンと関連づけるのだから解釈は研究者に譲りたい。
Chevaux-De-Frise
防壁のうねりを模した曲想。これなんかクセナキスをユーモラスにコンパクトにしてみせたのだろう。
Flamboys
松明とそれを使う人についてというが、アイルランドで何かそういう伝承があるのか私は知らない。
Sur Les Pointes
Hard D
これはアイルランドの笛のことらしい。
Diner
Edward Hopperの絵画にちなんだタイトル。
原始主義でも、野性的とも違う、まして装うわれた野蛮では。これはジェラルド・バリーの個性として按配されたそれらだ。
解説をヴォランズが書いているのはシュトックハウゼンかカーゲルの教室で同窓だったからではないか。そしてヴォランズがアイルランドに移住したのもそんな縁じゃないだろうかと思う。
注)
http://www.cmc.ie/composers/composer.cfm?composerID=4
http://www.oup.co.uk/music/repprom/barry/
上記に作曲者自身のプログラムノートに大体のことが記されてる(CDの解説とは異なる部分もある)けど、「The Intelligence
Park(1981 - 1988)」は「Queens' Gardens」のことらしい(ホントこれが好きなんだね、この人。読む気はないけどさ)。
Chevaux-De-Friseは下記に画像つき解説があった。
ドン・エンガスの石垣

数週間繰り返し聞いていて気が付いた、いや、ジェラルド・バリーの音楽がという訳ではないけど。
演奏の身振りや仕草は見えるが、表情が解らない。
ニュアンスを理解するのに共有している基盤を持ってるか、という疑問が湧いた。
共通の理解を得るのにどれくらいの時間を共有すれば良いという判断基準となるものはない。
あるいは、本当に表情のような機微に富んだ表現が十分に表されているのかと自問することが増えた。
そうした逡巡が、理解や概念などを散逸させてしまう。

3枚で二人しか聞いてないけど長くなりすぎたので中断。


INEDIT : TURKMENISTAN
Chant des femmes bakhshi 草原の女性吟遊詩人
期待したよりもありふれた音と聞くと、やはり古い時代の録音再生技術の限界と想ってみる。
少し感覚を緩めるために体を振ってみる。リズムが面白い。このノリ。
クラブ・ミュージックがトライブ(民族音楽?)を吸収する理由かも。
しかし、微分音の音程が怪しいのが気になる。自分の耳がいけないのか、旋法の中ですわりが悪い気がするんだが。

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Comments

ジェラルド・バリーの何が気になるんだろうと考えた。ニック・ケイヴと同種のノイズか?

Posted by: katute | 2008.10.08 10:05 AM

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