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2008.12.26

CD試聴記

声楽曲

TSIPPI FLAEISCHER - ARABISCHE TETUREN
ART MUSIC SETTINGS OF ARABIA POETRY
そもそも自分が知らない文化圏に触れるのが音楽を聞き始めた切っ掛けだったので、この出会いは喜ぶべきなのだろう。
Ballad of Expected Death in Cairo(1987) メゾソプラノ、ピアノ四重奏
A Girl Dreamed She Was a Butterfly(1977/84) 混声アカペラ
ここで作曲者が次の作品の詩を朗読。
Like Two Branches(1989) 室内合唱、二本のオーボエ、kanun(プリペアードピアノで代用)、チェロ、tar-drums
with supplments
三曲目は6世紀、他は現代の詩人。どうやら全体を通じて「死」が共通テーマになっている模様。

ZEMLINSKY・SCHULHOFF
RANDI STENE
歌のテキストがない。ノルウェイのレーベルなのに解説が英語なのは輸出用か。
各曲のタイトルは作曲家の付けた通りドイツ語表記。
ツムリンスキーは作品13、シュールホフは作品28と26。

Roxanna Pnufnik: Beastly Tales
やっとパヌフニク(娘)のオーケストレーションが聞けた。
失礼な言い方をするならラヴェル「子供と魔法」的世界を「ピーターと狼」にしたような感じだ。いや、もちろん逆だが。

KAGEL by Mauricio Kagel
Rrrrrrr... (1981/82)
Anagrama (1957/58)
Mitternachtsstuk (1980/81)
説明しようもない言語作品だ。
一曲目はダランベールの『百科全書』に想を得た7つのチクルスのひとつ。
二曲目はダンテの回文がテキスト。
三曲目はロベルト・シューマンの日記から。墓場で死者の影を見た西洋風怪談話でちょっとした存在論を語るんだが夜更けにシャンパンを痛飲するという落ちがどこか冒神的。

CONTENPORARY MUSIC MADRIGAL CHOIR/MARIN CONSTANTIN
これはなかなかやっかいなアルバムだ。録音が古くおそらくは放送音源で、それにテキストもわからない。

CARINA ROUND SLOW MOTION ADDICT
パンクの国の女性ボーカルらしい音で、それだからこそのちょっとしたズルいアレンジ。
残念だけど(次ではなくて)下の世代が出てきてるので伸び悩み中といった感じ。

modinha
Brazillian Songs by Heitor Villa-Lobos, Oscar L. Fernandez, Claudio Santoro...
ということで、ブラジルの作曲家たちのノスタルジックな詩情を湛えた歌曲集。これは好い。夕暮の微風に世界の畏怖を感じる。
そしてメロディの面白さは作曲家のものではなく伝承曲の方だったりする。
サントーロのピアノ小品に日向敏文を想う。

PAISAJES DEL RECUERDO
これはバスク地方の20世紀の作曲家たちのロマンチックな歌曲集。

詳しくは、続きに

声楽曲

TSIPPI FLAEISCHER - ARABISCHE TETUREN
ART MUSIC SETTINGS OF ARABIA POETRY
そもそも自分が知らない文化圏に触れるのが音楽を聞き始めた切っ掛けだったので、この出会いは喜ぶべきなのだろう。
しかし、文学や政治に比重が過ぎるのではないかと気にし始めると、なぜイスラエル人がアラビアの詩を歌うのか、それも音楽を禁じるイスラムの文化を、と相当に頭を悩ませることになる。
冒頭で作曲者自身がcredo(信仰告白)を行なってから、楽曲が演じられるとなると、尚更だ。
この選集は過去にも同様なものが発売され、その新録音らしい。
作曲家は博識博学と讃えられ、他にも世界紀行的な選集もある様子。
ラヴェルとジョージ・クラムと例えられるが、そんな感じはない。いたって現代的な歌曲と考えて差し支えない内容と思う。音色への興味はあるけど、音響的ではない、といった感じの作風。
旋法は装飾に止まらず本質でもありうるのだが、解説では取り入れてると書かれているが、味付けくらいにはなってはいても、用法が異郷的でないので当然メシアン的な感じもしない。
(異郷的とは何だろう? サイード『オリエンタリズム』での、西洋が夢見た身勝手な東洋への優越だろうか?)
ブックレットに残念ながらアラビア語もイスラエル語での表記はない。
英語の解説によれば、三つの作品を収めてるようだ。
Ballad of Expected Death in Cairo(1987) メゾソプラノ、ピアノ四重奏
A Girl Dreamed She Was a Butterfly(1977/84) 混声アカペラ
ここで作曲者が次の作品の詩を朗読。
Like Two Branches(1989) 室内合唱、二本のオーボエ、kanun(プリペアードピアノで代用)、チェロ、tar-drums
with supplments
三曲目は6世紀、他は現代の詩人。どうやら全体を通じて「死」が共通テーマになっている模様。
ただハズレと書くのが口惜しいから、繰り返し聞いてはみるものの、最後の曲だけで十分ではないか。

ZEMLINSKY・SCHULHOFF
RANDI STENE
歌のテキストがない。ノルウェイのレーベルなのに解説が英語なのは輸出用か。
各曲のタイトルは作曲家の付けた通りドイツ語表記。
ツムリンスキーは作品13、シュールホフは作品28と26。
マーラーは本家だけで、と思っていたのでツムリンスキーは聞いてなかった。が、これは凄いね。ワーグナーのように劇的でいながらマーラーのように毒が盛られてる。テキストとメロディの関係を重視しながらオーケストレーションに手を入れてるらしい様子、実に見事に表情変化する。
そしてそんなはずはないのに、おかしなことにツムリンスキーに比べればシュールホフは愉快なほど幸福な音楽に聞こえる、表現に表裏がないからだが。それにしてもシュールホフがこんなロマンチックなメロディを書いてたとは。。。ナイトクラブの遊び人くらいに思ってたので意外だ。ピアノ伴奏の歌曲は、こうじゃなかったと思うけどなぁ。
この盤も録音技術に問題があるのか、実際の空間に響かせてみないとイケない。
(実況録音かと思ってしまうテイクを収めてるのは何か意図があるのだろうか。)
このアルバムは北の人の幻想と呼べる。
南の人はこういう感覚ではないからね。

Roxanna Pnufnik: Beastly Tales
やっとパヌフニク(娘)のオーケストレーションが聞けた。
カルカッタ生まれのVikram Sethのテキスト(は学校で習ったように韻を踏んでる。これが日本語で言う所のオヤジ・ギャグに聞こえないこともない)による声楽を伴うドラマ(?)。
取り上げられた三つのちょと皮肉な、物語に沿った進行だから表現もドラマ的で、テキストと音楽のしつらえが緻密なスペクタルで、一曲目は正直ビビッた。
失礼な言い方をするならラヴェル「子供と魔法」的世界を「ピーターと狼」にしたような感じだ。いや、もちろん逆だが。
パヌフニク自身の語法があってドラマに見事な推進力を見せ、必ずしも子供向けという訳ではない。
登場する生きものたちの模倣を織り込みながらオーケストラのシステムが快調に進んで往く、内に元気を含んだ、テキストのドラマトルギーにとって理想的な音楽。
うまい。
テキスト解釈とその音楽化が見事。
作曲家が惚れ込んだテキストを音楽化するのに6年を費やし、その間にアッテンボローのドキュメンタリーにインスパイアされたそうで、登場する生きものたちの描写が生き生きとしてる。
ひとつ気になるのは英語の発音に関して。ネイティヴな人のイントネーションとして自然と聞き取れる歌唱なのか、わからない。テキストを読み解いてはいても音楽的なメロディが優先されてるので。

KAGEL by Mauricio Kagel
Rrrrrrr... (1981/82)
Anagrama (1957/58)
Mitternachtsstuk (1980/81)
説明しようもない言語作品だ。
ところで、南米ラテンの言葉で「r」の発音が意味を引っ繰り返してしまうと読んだのは『七悪魔の旅』でだったか、『それでも私は腐敗と闘う』でだったか。
いずれにせよ、作曲家の音学的野心よりも文学的野心をより強く感じる。衒示的? 作曲当時、作曲家は音色的興味を持ってたろうか?
初めて出会った民族音楽を録音するに、どうすればそのままに音を捉えられるだろう?
あるいは自分が聞いた通りというのは音楽のあるがままの姿でなく、自分の印象に過ぎないかも知れない。
ブエノス・アイレスから来たにしては随分と西洋的な文脈に通じる思考法によって組み立てられ過ぎている。
まるで作曲家を否定的に受け取ってるように思うかもしれないが、実の所、自分が抱いた勝手なイメージが誤りだったに過ぎない。ある時代の前衛旗手としてシアターピースを広めたことが記憶に刻まれてるためだろう。そういう傾向は三曲目がそれだ。
色んなイメージを詰め込み過ぎるという手法で音楽を満たしてるのだ。その間尺が西洋的ではある。
一曲目はダランベールの『百科全書』に想を得た7つのチクルスのひとつ。
二曲目はダンテの回文がテキスト。
三曲目はロベルト・シューマンの日記から。墓場で死者の影を見た西洋風怪談話でちょっとした存在論を語るんだが夜更けにシャンパンを痛飲するという落ちがどこか冒神的。

CONTENPORARY MUSIC MADRIGAL CHOIR/MARIN CONSTANTIN
これはなかなかやっかいなアルバムだ。録音が古くおそらくは放送音源で、それにテキストもわからない。
まず、マドリガル合唱団なんて名称とジャケットの冴えない写真に騙されてはいけない。
「広島の微笑み」というナレーションとテープを伴う作品は、第九とハルサイのコラージュで始まる。
再生装置が悪いのか、録音の位相が若干左にズレてるのが気になる。
他に、全体的にステレオ効果を考慮した演奏が面白い。時空を揺るがす野蛮を感じさせる。ただし暴力に訴えながら、力を糾合できないのか、動きとして鈍かったりするのは(いわゆるアレグロが書けない時代、理論重視の前衛の時代の作品を集めたからだし)暴力が目的ではないからだろう。
この時代を世界規模で定義すべきだろうか?
60〜70年代、これは反抗の時代だったろうか。それとも不安の時代だったろうか。冷戦の時代、音楽は前衛の時代で、それは人々にどんな感情を抱かせたろう。
それぞれを聞き比べるのは大変な能力を要求される作品が集められ、一見、リゲティあたりで大丈夫かと思ってしまうのは聞く側の幅が薄いためだ。いくらか引き算したい箇所もあるが、記譜を想像しながら音を追うと良いのかも知れない。
(ルーマニア語の語感が生きてるのかは定かではないのだが、ひょっとして古代ローマの言葉に近かったりするのだろうか。)
それと問題は録音技術だろうか。音のマチエールが明瞭でないのが惜しい。録音データも記載されてない。と、まぁ混乱中で。
または、作品の意図を理解していないのか、もしかすると演奏の凄さを伝えるという技術的な関心がないのか。。。そうすると芸術ではなくマーケティングの問題かも知れない。
ルーマニアのELECTRECORD。
以前は録音盤をレコード=記録と呼んだが、今はディスク=盤だ。名付けられてしまった感がある。

CARINA ROUND SLOW MOTION ADDICT
パンクの国の女性ボーカルらしい音で、それだからこそのちょっとしたズルいアレンジ。
残念だけど(次ではなくて)下の世代が出てきてるので伸び悩み中といった感じ。

modinha
Brazillian Songs by Heitor Villa-Lobos, Oscar L. Fernandez, Claudio Santoro...
ということで、ブラジルの作曲家たちのノスタルジックな詩情を湛えた歌曲集。これは好い。夕暮の微風に世界の畏怖を感じる。
そしてメロディの面白さは作曲家のものではなく伝承曲の方だったりする。
サントーロのピアノ小品に日向敏文を想う。

PAISAJES DEL RECUERDO
これはバスク地方の20世紀の作曲家たちのロマンチックな歌曲集。
こちらは太陽の下だろうか。
Carlos Menaのカウンターテナーが不思議な雰囲気を醸し出してる。
西洋文明がルネッサンスにどれほど影響を受け引き摺っているか。いや、どれほど現代の西欧文明がルネッサンスの精神を大切にしているかが、うかがえる。

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