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2008.12.31

CD試聴記

SANDOR BALASSA: Valley of the Huns
ON-THAT Tiet: Les sourires de Bouddha
Dim Sum: Ying Quartet
江文也:台湾舞曲 孔廟大成楽章
江文也:故都素描 記念屈原交響詩 田園詩曲 為弦楽合奏的「小交響曲」
原住民新韻

SANDOR BALASSA: Valley of the Huns
冒頭の表題曲、バルトークを基準にするとハンガリー色はライトな仕上がりだけど、西洋的な荘重な音楽といえるのではないかと思う。
題材は、アッチラ王。歴史に詳しくないが建国神話に関するものらしい。
純粋音楽というよりロマン派の表題音楽で映画やドラマのために書いたとしても通用する内容となってる。
バルトークやコダーイとは異なるとはいえリズム処理などハンガリー的な要素を随所に使ってるので民族楽派だ。
交響曲というよりはダンスラプソディ。ちょっとした田園詩なので乗馬術がわかると良いのかも知れないシーンがある。
それ位に思っていたが、次の弦楽合奏曲で、印象が塗り代わり、深化した。
指揮者を据えない合奏団の演奏。
Prince Csabaは四曲からなり、アッチラの息子を題材に建国神話を描きたいらしい。何故かこれは、英国風な弦楽合奏曲を想わせるのは、作曲家の使用する和声のためだろうか。
Dances of Mucsa
ハンガリー人が田舎者を表す時に使う地図にない架空の土地の舞曲集という趣向。
それほどに自らの心のふるさとだという愛着のあらわれでもある。
これまたコダーイ・バルトークとは好みが異なる音楽の作り。前衛的でない現代音楽の模範といえようか。オーケストレーションが華やかで聞きごたえは十分にある。

TON-THAT Tiet
Les sourires de Bouddha
近年のベトナム映画で知った名前。映画音楽では線が細すぎて気が気じゃなかった。
20分弱のこのアルバムは三つの合唱チクルス、というか声明。フランスに学んだ人らしい響きがする。
エンドレスで聞くことを勧める。

Dim Sum
Ying Quartet
現役の中国系米国人作曲家による弦楽四重奏曲作品集。
50年代が生まれが五人、70年代が二人、20年代が一人。
劈頭を飾るのがZhou Longで、以前に聞いたオーケストラ曲との感情面での差異どうしても引っ掛かる。個人としての「うれしい」のようなことではなく、あくまで森羅万象の中における「うれしい」だったりするようで、私個人が何かを感じて熱くなった、ような表現とは異なり、対象との距離、自己の感情との距離のような、冷めた表現のように思える。そうしたオーケストラ曲とはまた違った書家たちが愛した琴のような楽器を模した音楽。
以後の作品は民族的なイディオムの装いを徐々に剥ぎ取り、よりモダンなコスモポリタン的な装いを増していくように思えなくもない。
それは不思議と、アメリカの音楽とも日本的なそれとも異なる、どこか欧州大陸的な音がする。作曲家がいつからアメリカに生活しているかも、それには関係してるのだろう。
Chen Yiの曲はドビュッシーやラヴェルを想い出させる。
Bright Shengは文革で破壊された寺院の思い出を綴った弦楽四重奏曲から二つの楽章。
Ge Gan-ru中国初のアヴァンギャルド作曲家と呼ばれたので少しアメリカ的でもあるのかな、カウエル周辺とか。グリッサンドが特徴的。
Vivian Fungのピチカートは、緊迫した中にもユーモアを感じさせる。反復が冗長かな。
Lei Liangはモンゴル民謡を素材とする作曲家で馬頭琴を模した倍音を含む音楽で、作曲家はそれらを録音から学んだ。モンゴルとシベリアって似てる。今度調べてみよう。
Chou Wen-chungの長大なCloudsから、東西折衷な二つの楽章。西洋楽器が様々な謡を模してる。もしかしてこれクセナキスみたいな電子音楽向きかも。
Tan DunのEight Colorsから三つの楽章。京劇に影響された奏法が特徴的。
作曲家や演奏者の発言としてcalligraphyに中国の精神を学ぶ、のような表現が解説にはあるけど、西欧流カリオグラフィーでも書道でもないだろう。「書」てナニ?

江文也:台湾舞曲 孔廟大成楽章
これは特異な一枚。なるほどノスタルジックな楽想だが、舞曲といっても、これは霊廟礼拝への前奏曲のよう。
そして作曲家の意欲作なのだろう、寺院での礼拝は抑制された静かさで、それでいて実に現世的な儀式に聞こえる。

江文也:故都素描 記念屈原交響詩 田園詩曲 為弦楽合奏的「小交響曲」
作曲家は日本統治時代に本土留学した(当時の表現としてこれで正しいか?)が、理由あって忘却されていたようだ。
前のアルバムとは趣を異にしていて面白い。20世紀初頭のオーケストレーションがふんだんに散りばめられ瑞々しい音楽が見事に展開される。何処の王宮が見本となってる音楽だろうか。
テンポを見直し、いくつか音を削れば現代にも通用するだろう。ほんの百年足らずで、こうも音楽語法が変化したのが面白い。

この二枚は、アルバム丸々なのでペンタトニック・メロディが苦手な人には金太郎飴状態で、退屈かも。
80年代に日本での演奏録音。録音かホールに問題があるのか残念なほど響きが平たいのが惜しい。
最近日本でも販売されるようになったけど、ジャケットなどの印刷技術などから録音時の発行と判断して良さそうだ。

原住民新韻
台湾の様々な部族の旋律を取り入れた(漢字を探せないので)Yui-Kwong Chungの作品集。
【高一生歌曲】組曲
編曲もので、童謡メドレー。何も知らせずに聞かせたらきっと「名曲アルバム」と思う。
マリンバ協奏曲第二番
リズム展開に若干面白味があるけど旋法との関係でか遠慮気味な感を受けるのは仕方ないのかなぁ? これも何も知らせず聞いたらバルト三国?とか思うだろうか。いや声部の扱いが違うか。
【紀暁君歌曲選粋】
南王地方のPuyuma民謡のポピュラー音楽風アレンジを歌唱付き演奏で。アップテンポなラテン系アレンジが似合うと思ってたら後半そうなるんだ。でも、なんだろう?
オーケストラ組曲【山谷的廻響】
よくあることではあるが、ポピュラー系のアレンジャーがクラシック作品書いてみました、なのか、あるいは逆か。そう思ってしまうのは聞かせ所が良く判らないからで。なんだろう? 対象としての慈しみ方が西欧とは異なるってことで良いのだろうか。この辺りはハンガリーのそれと比べると明瞭で、中国系の作曲家たちとも違う。
2006年録音。全体として激烈な演奏は期待してはいけない。金管のアンサンブルがアマチュア級だけど。実に優しい。
あるいはまだこうした西洋楽器を奏でることが真実ではない感覚があるのかも知れない。自分の音楽をやってる嬉しさが内側から出てきてないというか、遠慮してるのか表現が一歩引っ込んでいるように感じる。
さらに余計なお世話だが、もしそうなら外国のオーケストラが演奏したらスコアも改訂されるかも知れない、などと思ってしまう。
面白いアルバムなんだけど、自分が解かなければならない問題が増えていく。。。

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