« CD試聴記 | Main | 情報の住み分け »

2009.01.21

ORFF-SCHULWERK

80年代を通じて日本語資料を読み耽り、楽譜を演奏してみた経験からすると、日本でこれを取り扱うことには誤りがあると思える。
言葉と郷土、それらに結び付けられた地域文化としての音楽を掘り起こす作業の一貫としてラジオ局やダンス学校と共同して作り上げられた作品を、後に編纂してオルフ・シュールベルクと呼んだ。
それらが録音されたことは知っていたけど聞きたいとは思わなかったので興味もなかった。
偶然にそのCDの1,2巻を手に入れた。
1巻はルネッサンス期の音楽帳を合奏するような感じで、まさに上に書いたことが展開され、自己トレーニングに応用したのが誤りだったと観念した。技術的には専門的ではないけれど子供向けの音楽内容とは言えず、東欧のアニメ映画に聞く音楽に近い。確かに聞けばヒーリング系の当たり障りのない音楽でモダンなルネッサンス音楽の演奏として聞けないこともない。それでも、内に秘めた湧き出るように素晴らしい躍動感は見事で、この演奏家たちで他の作品もぜひ聞きたいと思うえる演奏だ。
2巻を聞き始めるとアカ・ペラ合唱が宗教色を打ち出すかに荘厳に響く。主にオルフの声楽作品の合間にケーートマンの器楽曲が挟まれる。
聞き進むと中間でリズム・オスティナートの見本のような、いかにもオルフな、打楽器を伴った合唱が響く。
それを機転として何か感動的な音楽に聞こえてくる。
どうしたことだろう、合唱は高地でのように豊かな響きを帯び、神々しくさえある充実のハーモニーを聞かせてくれる。

録音は6巻に及ぶらしいけれど今は絶版らしい。

|

« CD試聴記 | Main | 情報の住み分け »

」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

Comments

ぶら下げておく。

CD試聴記 1月10日

サイレンス、ナイト&ドリームス
ズビグニエフ・プレイスネル
ポーランドの映画音楽の作曲家。
クラシックでこういう音を出すとエフェクター説明が必要だろうけどそういうことは無く、作曲家が自宅でトラックダウン。
それを含めて録音記録に音作りが垣間見える。そして音の向きがコンサート音楽とは違う気がする。心理的な空間の質としておこう。
作品はヨブ記をテキストに選んだ内省的な音楽で、(個人として)作曲家は、時代の閉塞感を試練として乗り越えようとするのだろう、人類が中世を乗り越えたように。それは前作でも試みた友人の死と喪失への克服できない苦しみか。
ヨブが神に何故を問うてもこたえはない、有名な件をラテン語、と補足部分を翻訳された英語、としてテキストを構成。
メイン・ヴォーカルにアディエマスのテレーザ・サルゲイロ、導入部と終決の翻訳された英語部分はボーイ・ソプラノが歌うという循環。
(作曲家がスコア・ミュージックとしてのいわゆるクラシック音楽を軽蔑してるというのが面白い。作者自身がトラックダウンした結果が作品ということか。)
アンビエントな感じで耳当りは申し分無いけれど、ヨブの問い掛けの甲斐もない仕打ちに対する恐れるなの提案は勇気を以て行動しろへ繋がるのか。こちらの心の持ちようってことか?

Michael Jarrell ECO
こういう響きの音楽が実に懐かしい。
とても上質な集中力を見せる音楽だ。
ソプラノが歌うのが2曲、ほか3曲は(バス)クラリネットを中心とする音楽。
この音の偏愛こそが素晴らしい。
作曲家はジェノヴァ出身で在住。
演奏はフランスのアンサンブル。

Les cloches de flammes rose
Works by Gyula PINTER
一曲目がヴァイオリンとフルート、作曲者自身のライヴ・エレクトロニクス。ソロ楽器にそれぞれ性格を与えて照射しようというもの。
こうした電子音楽を聞くのは久しぶり。
自分には風変わりな道の映像が浮かぶ。
色彩と影と高低差と植性の違いと奥行。
実はこのアルバム、以降はソロ楽器とテープの作品で、裏表紙の2曲目にcymbalとあったが、中を開けると表記はcimbalomとなってた(前者がハンガリー語で後者は英語?)。
この2曲目は特に意表をつく音が繰り出され、驚く。まぁ解説を読めば納得する。けど、心臓に悪い驚き方をさせられ、ソロ楽器が、その中を通過するという仕組み。
これ以降テープはそれほどに特異ではなくなり、ジャズなど個々のスタイルを打ち出したものが並ぶ。
表題はランボーにインスパイアされて。
電子音楽は音響を支配するのに便利だ。
そして共時的な緊迫、緊張感に欠ける。
なので術に溺れやすいのかも知れない。

Barbara Heller
Hundertmelodienbuch・Book of A Hundred Melodies・for Solo Recorder
全曲は100を越すらしいけど87曲を収録。
潜望鏡のような、角材のような楽器を担いでる作曲家と演奏家のスナップ。
なんでも50種近い楽器を使って演奏したそうで使用楽器のデータも記されてる。
そこには色んなピッチの楽器が並ぶ。
素朴だけど替え指や重唱など様々な演奏技術を要求する、いつの時代という特徴も未聞なアンフォルメルなメロディが続く。1分に満たないものが大半で長大なものでも3分くらい。
大人が真面目に作ってる(なんだろう?)不思議よりヘンテコ。

PER NORGARD
Works for harp and ensemble
ここで作曲家は音色にこだわった音作りを見せる。
Gennem tore(Through Thorns)とHedda Gablerのための音楽とKing,Queen and Aceの3つはアンサンブル曲、その合間にチャーミングなソロの小品やフルートとの二重奏が収められてる。
はじめの曲は爪先立っているような、ツィターや琴のような奏法による響きを追求してるように思う。最も注目すべきだろう。
それは翌04年のMens toner daler.Varsol med fregner(Notes faling.Spring sun with freckles)に通じる。
最後に収められたアンサンブル曲はどういう意味だろう? 作曲家の腕は解ってるから、いまさら不要。まぁバレエとすれば無くもないが。

A JOKER'S TALES・21ST-CENTURY MUSIC FOR RECORDER
リコーダー奏者Dan Laurinが集めたスウェーデンの作品集。
表題はDaniel BORTZ(1943)のフル・オーケストラ伴奏の協奏曲
例えばオーケストレーションで金管や打楽器との渡り合いでの音量の限界をどう考慮するか。協奏曲を名乗るからにはオーケストラの味付けでは済まされない。
そこらを巧くさばいて流石ダニエル・ボルツ作品に仕上げてる。ただしまだ現代のレパートリーに載せるかは難しいだろう変装曲。
Ingvar KARKOFF(1958)の管楽オーケストラ伴奏の協奏曲
清々しい20世紀モダンの模範的スタイルと響きの、なにかを思い出しそうで思い出せない休日の昼食前の午前中に広場か議事堂前で演奏するならこういう音楽だろうか。
と、思う間に現代音楽らしくなってしまうのを、少し我慢しよう。
Fredrik OSTERLING(1966)のペトラルカのソネットにインスパイアされたリコーダー・トリオのための組曲
スキャットとハミングの(?)合唱曲のスケッチにも聞こえる。トータルセリエールとミニマルの融合を夢見たい。リコーダーが人間の呼吸に近いので、是非合唱に仕立ててほしい誘惑に駆られる。

SHAVLEGO
GUITAR MUSIC BY GEORGIAN COMPOSERS
皇制ロシアをソヴィエト時代に懐かしむと言ったら過ぎるが、民族舞曲を期待するよりは古典的なしつらえに、ロシアの7絃ギターの堅く鄙びた響きが似合うNarimanidzeの曲。
ほかは6絃の作品だからスパニッシュ・ギターで演奏され不思議な甘さが薫る。それが西欧とは異なるポリフォニーのせいなのだろうか、演奏家はグルジア独自の音楽構造で技法だと言う。
歌心が違うんだろう、自分には、もう一枚のACROBATIC DANCEでも奏者OLEG TIMOFEYEVのギターは情感に乏しく味が薄いように思えた。

Cordes sur bois.
Fredrik Burstedt.
久しぶりに歯応えのある作品だ、と思うのはアルバム全体に、難しい曲書きまっせ、の意気込みを感じるから。
それぞれに面白いけど、一番は表題曲。
これはヴァイオリニスト(72-)のポートレート・アルバムで、大学の先輩たちの書いた曲を後輩が弾きまくってる。
解説が、ヴァイオリンは悪魔の楽器か?で始まる。それほど思い入れの強い曲を集めたってことだろう。
全部で5曲。
Per Martensson(67-)“Concert for viorin,thirteen wind instruments and computer”(96/97)
作曲者自身のライヴ・エレクトロニクスと緊迫したカデンツァの連続。急緩急の波に、ふと60-70年代の語法よりも現代との意識の差異を探す。
Joakim Sandgren(65-)の表題曲は元は“Strings on wood”(1997/2001)で作曲家がフランス滞在中に改訂したために表記が改められた無伴奏作品、これはマレーヴィッチ、無対象芸術。繰り返し聞いてる内に愛着が湧く不思議な音楽、スタイルが染みてくる。
同じ作曲家で“Solo pour violoniste”(200-01)
作曲家は奏者には内緒で書いた、自分の虚像を相手に演奏するという趣向のテープを伴う作品。
Mats Larsson Gothe(65-) “Valkyrie ritt 2”(1996/2001)
日本代理店は迷わず「ワルキューレの騎行2番」としてるけどワーグナーとは関係ない。作曲家のオリジナル・ピアノ作品をヴァイオリンに新たに書き下ろしたもの。ボーイング・テクニックを競う動きの部分に緩やかな後半が続く。これがもっとクレイジーで怪奇に歌うんなら良かったのに、その手前で戻ってった。
最後に同じ作曲家のヴァイオリンと管楽器のための協奏曲。(2000-01)
これもバレエとすればなくもない。
解説ではストラヴィンスキーっぽいとあるけどプロコフィエフの1番が近いんじゃないか。練習番号のつなぎ目の休符をしっかりしてほしい。しかし全体に呼吸が自分とは合わないまま、これで良いのかも。
アルバムの流れは見ての通り、「ヴァイオリン、管楽器、電子音」のフルセット、「ソロ」、「ヴァイオリン、電子音」、「ソロ」、「ヴァイオリン、管楽器」という鏡像の5楽章と考えても良いんじゃないか、と思う。
で、ヴァイオリンは悪魔の楽器か?
実のところ判らない。
それと気付かなかっただけかも知れないから聞きながら、ただ自分を超える大きな存在と出会ったか、と問うしかない。魅せられたいと望む悪魔の姿を。

してみるにロマン派とは物語を信じるが故の推進力であったか?

PRAM
THE MOVING FRONTIER
志の高いタイトル。
前作より乾いた音色。
セクェンツァとブレイクポイントの簡潔なスタイル。
巧みな音色誘導。
自然音を採取しない?ノイズの挿入。
金太郎飴の誘惑。(クールの下に紙一重に隠されたダンスの熱狂。)

hk gruber > ZEITETIMMUNG
ウィーンである。
悪ふざけの世紀末。
上流社会的下品音楽。
伊達粋狂の河原乞食ではございません。
オノマトペー駄洒落でございます。
(寄る年波には勝てないんだなぁ、合唱か重唱の掛け合い漫才にすれば良いものを、ピンで立つのは年寄りの冷や水だ。
トランペット協奏曲があまりに見事だったから、期待したけど。)
洒落の現代性を問う音楽とも言える。
内側から何層にも膨らんで出てくるようなリズムが楽しく、(主にはパスティシュだが)、ちょっと勿体ぶって気障な構え。
言葉は既に音楽である、と。
言葉を抱いて踊り狂うあたりは最高、
sein buntes lied der arbeit
macht alle menschen frei.
(英)
its glad songs to the workers
sets all the people free.
こうでなくっちゃ!
ここでのシャンソニエというのは活動映画の弁士みたいなもんで、それが楽団と一緒に悪巧みと来たら、その空想の映画を観てみたいじゃないか。
アンリ・ソーゲに、と言っておきながらサティーのワルツを細切れにして和えてしまうとか、ニュー・イヤー・コンサートのお馴染みのお囃子を掻き混ぜちゃうとか、まったくね、お行儀がなっちゃいないよ。
といって今回は下品でもなく。そこが寄る年波だとしたら淋しいが。
グルーバーの音楽は南の響きがするけど南のリズムではない。郷土愛というのか夢のような理想の町に住んでいる誇りかな、と思える微笑ましさ。


CD試聴記 1月19日
旧ソ連もの

Parade a la russe
ロディオン・シチェドリンの室内楽曲集。
ロシア風パレード? いや、ロシアの行列だろう。
Piano Terzetto
Three Funny Pieces
ここまでは、エリツィン大統領の時代の音楽の悪ふざけ、で済ませられる。敬意を払って解説にはゴルバチョフって書いてあるけど。ロシア特有の教養から鑑みて、そうじゃないだろう。引用された古い軍人の歌だけが記憶に残る。
Sonata for Violincello and Piano
ショスタコを想い出したかのシリアス路線。作曲家個人からすれば立派にコスモポリタンだ。なのに郷愁とかを引っ張りだそうという魂胆。ニキータ・ミハルコフと仕事をしてないのが解せないくらい逆説的な。ロストロ・ポーヴィッチの捧げられたので、作曲家と演奏するゲリンガスのチェロが威厳を正して立派に響く。シチェドリン音楽の、地に足がつかないような軽薄さでさえ折り目正しく聞こえてしまう。

alexander WUSTIN an introduction to
この選集は良い。前半が特に良い。
人力電子音楽擬きな音響が楽しい。
歴史的だけれども健康的ではない。
シェーンベルクがノーノで12音技法である(そういう引用が挿入される)と想い出して聞く。だから身体的な呼吸の間尺ではない音楽に聞こえるのは仕方がない。
作風としてダダを強く意識させる。
そういう方向で良く出来た作品だ。

ストラヴィンスキー自作自演集
まだ22枚を全部は聞いてないけど、作品1番の交響曲がイイ! まるでボロディンだ。作品のプロポーションとしてのバランスは気にしないでペトルーシカの萌芽なりを聞けば楽しい。
三大バレエの演奏で気付いた、作曲家はその音楽をずいぶんと可愛く作ってる。

Posted by: katute | 2009.01.24 at 06:48 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12774/43828671

Listed below are links to weblogs that reference ORFF-SCHULWERK:

« CD試聴記 | Main | 情報の住み分け »