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2009.03.04

CD試聴紀

エストニア

LEPO SUMERA
To Reach Yesterday

Eduard Tubin and His Time

tuurmagma

HELENA TULVE
LIJNEN

(詳細は、続きに)

エストニア

LEPO SUMERA
To Reach Yesterday
スメラの音楽はどうしても気になってしまう。作風が変幻自在で守備範囲が広いからとも思っていた。
でもそれは、どうやら演奏による所が大きいらしく、このアルバムではあまり共感する所はなく、むしろ作曲家の音楽に対する姿勢を解説に読んで、考えさせられてしまった。
例えばTwo Pieces from the Year 1981 for pianoの、交響曲を書く切っ掛けとなりエストニアでのミニマル音楽の起源として有名になった、1曲目。これはテンポ設定が難しく、作曲家の意図したことはこちらの演奏で叶えられるのだろうけど、聞きごたえとしての表現内容を求めるなら、フィンランディア盤のようにもっと遅い速度でドラマチックに演奏されるべきなんだろう。音色変化と声部の歌わせ方が非情に繊細を窮めて難しい。
何を省略しているかを理解するのもスメラ音楽の愉しみではあるが演奏するとなると悩みは大きいだろう。
また、双子のような2曲目が、なかなか演奏されない理由。それを知って納得した。
ショパンのマズルカ イ短調作品17-4のパラフレーズ。リズム・クライマックスで手拍子じゃ物足りないからとタップダンスを取り入れたためだ。名付けてPardon,Fryderyk! 日本語ではどうしたら良いだろう。
失礼というより、え?今なんて言った?の感じではないか。
冒険者である。毎回感動できるかは別だとしても、こうした音楽の姿は涙が出るほどに見事だと思う。
フルートのための小品がOdalisqueと名付けられてる理由も判った。The Silver Odalisque。楽器の姿を見立てた訳だ。
トリルと跳躍、そして演奏の基本である正しく美しい発音さえも越えてしまう音の要求。さらにオネゲルを想い浮かべてみる。
そして表題の、チェロとピアノのための作品。
始めは何でこんなタイトルを?と思った。事情はこうだ。依頼された音楽祭への提出期限の前日にハードディスクがクラッシュして記憶を頼りに書き下ろしたというのだ。アナ/デジ=デジ/アナ変換された作品ということになるだろうか。その過程から名付けられたタイトル。
この辺の考え方からダダとか、コンセプチュアル・アート的な姿勢を指摘されてるのではないか。
さらにもうひとつの問題提起。
歌曲でのテキストの読み込み。
呪文と謡の間を揺れる振り子。
歌と踊りが切り分けられる以前の姿としての、文字以前からあった言葉の有り様。
そうしてみると、冒頭に置かれたScenario for flute ,bass clarinet and pianoの、現代美術にも通じる表現が興味を引く。対象を具象的に描くでなく、色彩の面として捉える構成方法とするなら、ジャケットのデザインは凄く良く出来てると思う。
まったくこのアルバムは、レポ・スメラのレコード(記録、文献)として立派だ。

Eduard Tubin and His Time
これはトゥービン生誕100年の記念誌に付けられたもので、本体にはお目に掛かった事がない。
ある傾向の作品を網羅的に収め、録音時期を見ると出版当時の国内での最新録音を集めたように思える。
ピアノを含む室内楽小品と、交響曲2番の2、3楽章、5番の3楽章、ヴァイオリン協奏曲1番の2楽章。
どれも素晴らしい情感を湛えるものばかり。
特に驚いたのは交響曲2番。これほどの内容だったとは記憶してなかった。素晴らしい。これを32歳で書いたなら国をあげて生活を保証しても当然、良かったろうと思える。
しかしそうはならなかった。
第二次大戦でドイツに占領されたエストニアをソ連が再占領するとスウェーデンへ亡命。いずれにせよトゥービン作品があまり取り上げられない理由のひとつだ。
ある程度、20世紀のモダニストではあったけれど、前衛を目指しはしなかった。
BISレーベルでヤルヴィが録音できたのは、ほぼ在外同郷人等の財政支援を集められたお陰だった。それをフィンランドのALBAレーベルがもっと良い録音を作ってるというのはエストニア文化にとって歴史の再演か。
トゥービンは悲劇的というよりは皮肉にも引き裂かれてしまった人だ。
交響曲5番。ここでベートーヴェン、マーラーを敷延してショスタコヴィッチにさえ挑んでいる。その姿がスメラのアイロニーの利いたユーモアとは、また異なる。
ヴァイオリン協奏曲は、この録音中で唯一惜しいことにステージ・ノイズが音楽を邪魔してる。好い演奏なんだけどなぁ。。。

tuurmagma
トゥールは何故だか自分にとっては急速につまらなくなっていく作曲家だ。
前作の交響曲3番以降、繊細さが失われ雰囲気に流れてるような気がする。
今回の4番、打楽器ソロを迎えて激しさはある。宇宙的な広がりも感じる。
音響構成の強度を推し進めることでこれまでの作品は書き上げられていた。
この交響曲ではロックな打楽器ソロを中心軸にして音色を探る場面がある。
いくつかのセクションに分けられた作品全体でのグラデーションではない。
後に収められた30代に模索していた作風と比較するとリニアより共時的だ。
音楽は時間の流れの中での出来事を描くという限界を越えるための課題か。
最後に収められたペルトの70歳記念コンサートのための作品では、人生と死を見つめてるのが、やはり作曲家も40歳を過ぎ、作曲中に自身の父親の死を経験して、避けられない主題となったのかと思う。
しかし、まぁ、なんと言うか、そこに果敢に向かって行くのではないのだ。
エストニアが再度独立して、その混乱期を共に担った人たちが過ぎていく、そうした心情と受け留められなくはない、
これは、意地悪な聞き方かな。
しばらく時間をおいて聞き直せば、そうではない聞き方も出来るだろう。自分探しとして。

HELENA TULVE
LIJNEN
シェルシ好きには乙な音楽です。
1972年生まれ。良いですね、こういう傾向の若い人がいるって。
いろんなアンサンブルで6曲入ってて十分楽しめます。
より大規模作品は今後の楽しみに。
シュエルシが好きでない人には、20世紀の文法から抜け出さないし、やり過ぎないし、なんだかそつなくこなしてしまうので、ちょっぴり不満。
合唱曲とかヴォーカルアンサンブル作品を聴いてみたいな。

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