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2009.03.01

読書メモ

ハルバースタム『幻想の超大国 アメリカの世紀の終わりに』を読みながら常に錯覚を覚えずにいられなかった。
(この単行本は講談社の月刊「現代」1991年10月号〜93年1月号までの連載を加筆修正したもの。米国で何処に掲載されたか知らないが。)
既に過去の歴史となった考察が現代とは微妙に歪んで見える。そうした二つのテンポが同時に存在することに読者は苛まれる。
章を追う毎にページが少なくなるのが気になったが、何よりアメリカという国の精神分析のような、成立を追う文明史が面白い。
構造主義のシニフェ/シニフィアンをメディア/コンテンツと認識しながら読むと面白さが冴え、先の二つのテンポが共に動きだす、微妙に歪んで噛み合わない二つの現実に挟まれて。
フラット化する世界とは社会進化論を唱えた社会学者等の系譜にあるだろう。
何処の国や地域でも今後起こり得る。
大きな政府が社会主義を連想させるように、計画経済は企業に対する最強のコンサルティングだろう。
フォード革命の自動車(プロシューマーの誕生は経済が内包する矛盾でもあるが)、人種問題、自由や権利の格差、外交政策:経済摩擦、安全保障の経費負担、見せ掛けの同盟。
それぞれ駆け足の診断を垣間見る。現在も未解決な、それら。
そうして、この記述が厳然たる歴史であると思えるのは、クリントン政権を迎えようとするアメリカの姿であると知らされるからだ。
それでも、歴史としての流れや繋がりよりも、歪んだ二つの現実に挟まれた感を否めない。
クリントンが象徴したものがアメリカにとっての世代の断絶で、それだからこそショッキングで認められないのだ、ということも。


いくどか括弧に括られない台詞を読み返している時、言葉を後から繰り上げて読んでいくしかなくて、どうして理解できないのか、現在を手繰り寄せるように繰り返し読むしかなかった。
ヤン・アンドレア『デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか』
デュラスの生前の姿を追う記述は、誉められた人格ではない。気恥ずかしいほどに幼い恋心としてエクリチュールの病が記述される。
やがて、追憶を繰り返し、死亡日時と時刻を繰り返し書き込み、それが何か行き止まりの標識のようでもあるけど、それでも繰り返し語られる互いの姿は徐々に変容し、デュラスに見守られていく筆者の姿が書き留められていく。
そうなのだ。『エクリール』は病だ。
二人の離れられない病。それが二人のエクチュールだったのだ。
デュラスは文体で、その作品はヤンが口述筆記したものだ。
今度の3月3日で13回忌となる。
読者を苛立たせるのはデュラスとの間に介在するヤンの言葉と解釈。
デュラスには植民地時代が似合う、のかも知れないな。


Yoshiyuki Ohsawa with CAMELEONS
Collage
1994年のセルフ・カヴァー。
「1/2の神話」がダントツ。他にはない歌詞のギリギリ感。歌の疾走感。
アルバムの劈頭にあるのはリズム・ベースだからだろう。
「ブルーライト・ヨコハマ」や「ピンキーとキラーズ」を想い浮かべる。
「キューティー・ハニー」は背伸びした女の子だが、それよりも意識が大人な女の子が健気に歌われてる。その言葉も音も凄い。
他の曲が色褪せて見えるのは、この当時の大沢がテキストを読み過ぎるから。
もともと曖昧なメロディラインを書いていたけれど、どちらにも取れるように余地を与えられているから、引用なのかほのめかしなのか判然としない上、さらにテキストが思わせ振りなものばかり。下手すると何も書いてないかも知れない。
現在の大澤を知らないけれど、ここではそうだ。
早過ぎた。今の時代にこうあって欲しい。

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Tracked on 2009.03.08 11:08 PM

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