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2009.04.28

CD視聴記

歴史のサブ・テキスト。

Gomidas Songs
日本ではコミタスとして、歌曲とピアノ曲がアルメニアの19世紀民族主義として知られてる。
Isabel Bayrakdarian
の歌声は冒頭で期待が高まりすぎる。控えめなこぶしは民謡よりはオペラの歌唱法。それにアレンジャーのピアノ演奏はもしかするとラテン音楽のようなスタンスを目指してるのかも知れない。
これまでの私の認識にあるコミタスの音楽は、鬼気迫るバッハの厳格さとトルドラのノスタルジーの融合をリムスキー=コルサコフのような異国趣味漂うパッケージに仕立てたもので、夕宵のセレナーデにも、芸術的にも、胸掻きむしる望郷にもなる、甘く苦い響きを湛えていた。
ここでアレンジャーは「カントルーブの歌」のような、新たな解釈を与えようと試みているようだ。けれど音楽以外の力が働いてるのではないか。
アトム・エゴヤンの解説文は、こんど読んでおこう。
そうだ、これはレーベル・サイトの動画を見たんだった。あれは見ておいて損はない。

AMERICAN CLASSICS
CHARLES IVES
Songs・Orchestral Sets
From the Steeples and Mountains
アイヴズの歌曲には、ひょっとすると面白いのかな?くらいな興味しかなかった。
1967年の録音、ここで歌ってるのは、なつかしのミュージカル映画の吹き替えで一世を風靡(?)した Marni Nixon の特徴ある声。
アイヴズとボードレールって取り合わせは考えたことなかった、考現学の異なる発現。
こうした過去は未来へ向かうのか?深いノスタルジーと力強い未来への推進力を同時に感じる。
後半の管弦楽、アンサンブル・モデルンの1991年の録音はストラヴィンスキー「兵士の物語」を踊りましょう、というノリ。
知らなかったけど、これのいくつかには作品のプログラムとして詩が寄せられてるんだね。
歌は物語や出来事を伝え、管弦楽はより抽象的な表現となってるのか。
(場末の小劇場での戯れ歌にも似て、幕間でモテたろう、きっと。。。どこかでフランスの歌とシャンソンを区別してたのを思い出して、ネットで古いシャンソンの舞台を見たら、ちょっとしたお笑い風のレビューになってた。そういえば、夜中のテレビでやってたベジャールのレビューにそれを意識した「ジャックとバルバラ」なんて演目があったっけ。。。)
なるほどプロを目指すなんて、面倒だな、この人にとって。
詩的な言い方をするならアイヴズは自分が現代文明って狂気の側にいると解ってた人だ。このアンソロジー編者もそうした意識を共有し、表紙写真は21曲目〈From
the Steeples and
Mountains〉を差してるのだろう(ヴィム・ヴェンダース映画の空間が音楽のムンク「叫び」で充たされているように)。

Bernd Alois Zimmermann
Canto di speranza
ECMのいつものヘルダーリンだろうと高を括ってた。
けれどそこにあったのは幸せそうなカップルの写真。
戦争から帰って来て生活も建て直されたのだろう。腕を組む二人の姿は屈託のない笑みにあふれ、いやそんなはずはない。B.A.Zの肖像といったら胡麻塩頭に顎髭の苦り切って今にも爆発しそうな中年男じゃないか。
ヴァイオリン協奏曲。
これまで聞いたことのある演奏は、これを何とも無駄な音に描いてきた。ここでは色彩と音色が空間を柔らかく満たして申し分のない呼吸を生み出している(ホリガーのテーマである空間と呼吸!)。そうしてこの作品の恐さが顕される。そう、おかしなことに、幸せそうにあの写真に収められた頃なのに内部ではこんなにも引き裂かれていたのだ。結局、軍隊経験を途中で止めてしまった生涯の作品経歴に撒き散らしていたのだ。
このヴァイオリン協奏曲のロマンチックであろうとする音の響きと、協奏曲なのに無残にソロを引きちぎっておわる終幕を見よ!
この写真を見なければこんなこと気付かなかった。
表題のチェロ・ソロを迎えた「希望の歌」。
エーテルのなか歪んだ世界を進んで行く感覚だ。
これはかつてギーレンのバトンで参加したアルバムでの呼吸ではない。ホリガー描く所の酩酊感から始まる世界は救いを求める間もなく、つまらない現実として自覚されるのではないか。そうと認識すること無く送り出されるようにして曲は閉じるのだが。これは「黄金の壺」なのか?
そして、自殺した年に書かれた2人のスピーカーとバス歌手を要する(即興で演技も要求され終幕で指揮者もそれに加わる)、
Ich wandte mich und sah an alles Unrecht, das geschah unter der Sonne
「私は振り返り太陽の下で行われたすべての不正を見た」
の意味深長なカンタータ。
ここにもいつものサインOmnia ad majorem Dei
gloriam(O.A.M.D.G.)「すべては神の大いなる栄光のために」が記されているのだろう。
しかし、これは『カラマーゾフの兄弟』の大審問官のくだりと聖書を並行させる、もはや文学作品だ。
大きな太鼓が打ち鳴らされ、申し開きをする人間の言葉を遮って、判決は下される。

架空のバレエ「プレザンス」(登場人物が象徴するのは?)や、蓋を明けてペダルを下ろしチェロの干渉になすがままのピアノの、それでしか演奏できない「Intercomunicazione」を思い出す。あれはNATOへの皮肉ではなかったか。。。

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