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2009.04.14

シュニトケ・ブーム?

ソ連崩壊後、ポスト・ショスタコヴィッチはシチェドリンかシュニトケか、と注目を集め、作品が以前より発表しやすくなって国外ではソビエト批判のようにして盛んに取り上げられ、日本でも俄かファンを増やしたように記憶する。
本人はそんなことに付き合っていられるほど暇じゃなく、その頃には頻繁に病魔を相手に、限られた時間で作品を書き進めていた。
そのブーム(一過性だから去ってしまうし帰って来ない、はず)絶頂の頃に完成された作品を集めた、BISが2005年に発売したアルバム「交響的前奏曲、交響曲第八番、リヴァプールに」。
音楽内容は個人的なエッセイのように思えなくもない。
間違いなく何かの光景が演じられてるけれど、それを知る手掛かりはない。

静かな時間を手に入れられたら、ヨシフ・ブロツキー『ヴェネチア』を想いだすだろう。
元々の自分の生活から一時的に下車できるのが幸運か逃避かはさて置き、そうした時間を手に入れれば、作品に没頭できるのではないか。勤勉にもそう考えてみる。
それとも、ソ連崩壊の混乱の下で芸術関係者に限らずに多くの人たちがアーチスト・イン・レジデンスのお陰で国外に生活拠点を築くことが出来た。もちろん、これだって頭脳流出ではある。

不思議にも、本人が言うほど、後に亡命するドイツよりソビエトでの生活がシュニトケの住みかで、あまりにもそれを愛していたのではないかと想う、ストルガツキー兄弟のように。

前奏曲はゼンマイ玩具のように、間違ったオルガンポイント上で、お茶らけて始まり、シリアスへ潜行し突然の沈黙に到る。
こうした身振りはタガンカ劇場から学んだのか、逆なのか。

交響曲は始まりから危険を孕んだ素振りで聞く者に緊張を強いるのがソビエト流だろうか、強いて言えば。この時はまだ世界には、不況という圧政にも似た悪が存在するとは作曲家は認識していなかった、とは思わない。ここでの音楽は個人的と呼ぶよりは状況的な記録のように思える。それも中断されるための幕間劇だろうか。独特のミニマルが形式や技法の約束を破るようにして進んで行く。

「リバプールに」、依頼先への答礼だろう、出だしの音は一応そうに違いない、後はいつもの通りだ。聞いているときの演奏、音の身振りは現在進行形だけど、実はそれが何を意味するかはあまり気にするべきではないのかも知れない。
コラール主題のフーガなのかロンドなのか、意外と無茶苦茶でない形式張った音楽を追求してるのが(ストラヴィンスキーを想わせ)保守的にさえ思えてくるシュニトケの何が魅力なのだろう。
皮肉な語り口?
思わせ振りな素振り?
もしかしたらステージでは滑稽な仕草が見られるのかも知れない。

これ?


BIS『シュニトケ:交響曲第8番 (1994) 他 [Import]』

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