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2009.06.26

CD試聴記

Tango Notturno
Isabel Bayrakdarian
アレンジャー Serouj Kradjianは「Gomidas Songs」で、お馴染みの、というか、こっちが先。ならば、あのノリも解ろうというもの。
なのに物好きにタンゴまで聞こうとしたのは、ガルデル、ピアソラに混じってババジャニアンが居たから。これはご愛嬌。
で彼女、ソプラノの声が清潔すぎで紫煙が揺れるでもなし、ダンスの足捌きが浮かばない。普段聞くタンゴ歌手は声が低いので戸惑ってしまう。歌いっぷりは、これはこれで良い、泣きが足りないんだろう、きっと。そう、繰り返しガルデルを聞いてる内に何も気にならなくなる。
あるいは、擬似古典としてのラテン音楽、スタンダードなナンバーをピアソラのスタイルで演奏して、そしてピアソラでは野性味をマッサージしてみせる悪乗り。とりあえずは懐かしのムード歌謡の焼直しとしてならイケてると思う。

KLAUS IB JORGENSEN
Moon-pain
表題曲は2003-8年のフェルナンド・ペソアのテキストによる連作集、その間にメゾをクラリネットに持ちかえた GOBLIN DANCE(2005)と、インスタレーション LISBON REVISITED(2008)を、挟む。
Remix Ensembleはポルトガルの団体。
メゾソプラノはエストニアのIris Oja。
指揮はポール・ヒリアー。
アスファルト舗道、咲き乱れる花、満艦飾の蝶々の群れ。不安定に跳びだしてくる、一瞬の幻、の連続。リスボンの喧騒と想い出。
そう思うのはペソアを取り上げたからだろう。
ただ'70、'80年代の自信に満ちた前衛とは違う雰囲気をしてるのではないかと思う。3つでひとつの作品となるよう(音域や動き、定石どおりな、身振り仕草も)補い合う。
クルタークのカフカ、のように、それを共有すると思い浮べ、ペソアとポルトガルの海を携えるべく、我が身に引き寄せて、考えてみることだ。

KURT BRUGGEMANN
Die Ferne Flote(1932)
In meine Traume rufen die Trommeln von Afroka(1953)
前者の歌曲集は李太白をバリトン、フルート、オーボエ、ピアノ、打楽器、作曲者自身の指揮で。
後者はジャマイカの風物を詠んだJames Krussをアフリカへの想いと解いたもの。主にバリトンとピアノで、所々にメゾ・ソプラノで、歌われる。ここでのアフリカは異国情緒でしかないのだろう。作曲者への知識がないので判らないが、時代的な主題だったのかなと思う。
時代的と言うのは、当時なら十分にお行儀が悪かったろうにもかかわらず、現在からすれば十分にお行儀の良い仕草に納まって見えるからだ。
これも、夜、空想を広げる時に好い。ちょっとバランスに欠けた長さだけど、それは気にする程もない。

KARLHEINZ STOKHAUSEN
Stimmung (2006年ヒリアーによるコペンハーゲン版)
人力シンセサイザーによるアンビエント・ミュージック。
言葉遊び要素による連作合唱曲集。素朴な音型とリズムは、インディアンの伝承に興味を持ってたのかしら。
とはいえ、全盛期ドイツのシンセバンドのような陶酔や高揚もなければダウナーでもない。
ミヒャエル・フェッターのような呪術儀式の前衛性は感じられず、もっぱら政治的ナイーヴを印象づけられる。
ペルトのヒリアーでは全くない。
倍音再現が足りないように思えるのは再生機?録音技術?
こうなったら架空の展覧会を空想してみるしかない。誰が良いだろうか?、バンクシー?

CLAUDIO SANTORO
Love Songs & Popular Songs
歌曲の間に12のピアノ前奏曲を挟んで後、ピアノ独奏で七つのPaulistanas(サンパウロ気質?)が続く。
Ensayo のModinha で聞いたサントーロの歌が気に入ったので歌曲集を探したけど、これしかみつからない。歌詞がついてたら良かったのに。
歌声は甘い始まり。音楽世界における20世紀前半の記憶を蘇らせる。スクリャービンのピアノと、シマノフスキーを跨いでショパンへ。だからこそモンポウを。
歌うメロディは、ラヴェル風、ドイツ風もあったりで、ヴィラ=ロボスよりはスタンダードなジャズのように偲ばせる。
そういう演奏を、と心掛けて聞く。
12音技法がピアソラの萌芽に聞こえるのは気のせいか。ヒナステラの半音階の無限放射だってショパンが元祖(?)だから当たらずとも遠からずか。
ブラジル音楽を期待するなら、洗練された上品な演奏というのか、野趣に欠けるというのか、一般的なヴィラ=ロボスを基準にすると控えめな演奏に聞こえるだろう。
小品なので形式感に新味が感じられないのが尚更なのかもしれない。ピアノ演奏のペダルが数ヶ所気になる。言葉が乗せてあるのかタッチがおとなしいのが、総じてそうした印象を与える。

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