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2009.08.23

CD試聴記

JOSEF SUK
supraphon : su 3777-2
ヴァイオリニスト、ヨセフ・スーク75歳の記念アルバム。

CATALYST
SHOSTAKOVICH PIANO QUINTET
USTVOSKAYA OCTET

CATALYST
STRAVINSKY SCHNITTKE SMIRNOV ROSLAVETS FIRSOVA
RUSSIAN STRING QUARTETS

JEAJOON RYU:
Sinfonia da Requiem
Violin Concerto No.1

LEI LIANG “Brush-Stroke”

JOSEF SUK
supraphon : su 3777-2
ヴァイオリニスト、ヨセフ・スーク75歳の記念アルバム。
スメタナ、ドヴォルザーク、スーク。
これにヤナーチェクのソナタがあれば申し分なしとネットで拝見したが、作風の相違が鮮明なので、これで良いと思う。
どれも祖国愛の滲む誇らしい音楽で、こうした作品を持つことは人々の喜びであろう。
演奏は、当然ながら、青年の胸を張った主張ではなく、想いでの郷愁である。がむしゃらな情熱は過日へ去り、ふるさとの変貌を見つめながら望郷の想いを深くするような音楽に聞こえる。いやいや、そんなはずはない、新しい録音じゃないから。
スークの演奏自体がセンチメントに流れないってことだ。伴奏のパネンカもホラチェクも息の合った音を紡ぐ。

CATALYST
SHOSTAKOVICH PIANO QUINTET
USTVOSKAYA OCTET
ウストヴォルスカヤの八重奏曲、コンポジション第三番、交響曲第五番。それぞれに音の表情は異なるけれど、40年を隔てても前へと進む音の指向に変化はない。むしろ、この足取りの鈍さは仕組まれたことなのか。白熱の目差しに(誰の?)曝された炎天下の白昼夢、そんなアーメン。
ショスタコのピアノ五重奏曲のテンポに驚かされた。ソヴィエト勢とまるで解釈が異なる。夜半から夜更けまでの風景画のように思ってきた自分にとっては例えばゴーゴリの『ヴィイ』みたいな印象を抱いていたのを見事に剥ぎ取り、ショスタコ菌を消毒した初めての純粋音楽として聞こえた。ピアノはキャサリン・ストット。

CATALYST
STRAVINSKY SCHNITTKE SMIRNOV ROSLAVETS FIRSOVA
RUSSIAN STRING QUARTETS
チリンギリアン四重奏団も独自の音色を活かしてる、ストラヴィンスキーのコンツェルティーノは抜群だ。
ストラヴィンスキー追悼のシュニトケのカノンはグラデーションの習作だろう。
ロスラヴェッツは秀逸だな、ストラヴィンスキーより徹底してる。主題の登場シーンなんかイカしてるよ。
スミルノフは、摺り合わせる音の交わりが絶妙だ、これで多様式主義を表現するのも悪くないアイデアだろう。
フィルソヴァも同様な着眼だろうか。そうすると、シェーンベルクを批判する人たちは横に聞き、叙情的とする人たちは縦に聞いているのか。
このアルバムの隠れたテーマは、音色グラデーションだろう。

JEAJOON RYU:
Sinfonia da Requiem
Violin Concerto No.1
作曲家は半世紀ほど遅れてやって来たかも知れない。
現代グループ創始者に捧げられた交響曲形式のレクイエムは、同じ民族が戦った戦争と戦後の経済復興を讃えて、激烈であり、テクスチャーが錯綜している。だから、あまり出来の良くないカノンを整理し、児童合唱を加え、独唱の音域のポジション取りを確認するとともに、余韻を活かすよう休符や音価を再検討してみてはどうだろう。
ペンデレツキーに認められたとはいえ楽器法で自身の独自性を確立できてないために師匠の癖を避けるのに神経を使いすぎてる。
ヴァイオリン協奏曲を聞くと、トランジットにポーランドへ立ち寄った訳でないことが判る。先の作品もそうだったが、作曲家としての、表現する野心が感じられない、いわゆる上流家庭の教養として伝統と格式を学び、それを発現するのに1950年代生まれの世代に迄は近付いてるだろう。
ちなみにレクイエムはラテン語を歌い慣れない人たちを想定してるかも知れない。オケもアマチュアが良いのかも知れない。その方が新鮮に響くのではないかと思う。

LEI LIANG “Brush-Stroke”
モンゴルの馬頭琴をレコードに学んだ人ではなかったか。
そうと思ったんだが。模倣の人らしい、形態模写。器用なもんだ。
弦楽四重奏は五月蝿い虫の羽音の煩わしさ。
ハープシコードは日本の琴。(江戸の考案て何だ?)
サックスは京劇役者。
トリオは蜃気楼のジャズ。
ここまで来ると、作曲家は無で、楽器から思想を紡いでるような気がする。
フルートは葦笛。いや、竜笛らしい。先の作品にあったempty thoughts(考案)のように作曲家の興味は幽玄に向いてるのだろう。
それを十分に吸収しているかは判らないが、次のピアノ小品集の虚空の響きには注目したい。
タイトル曲は、アンサンブルで、リニアに連続する事象に関連性を求めるよりは式次第を撮したフィルムを眺める感じ。
(※注意ネタバレ?)
そこにあまり現実味を感じないのは架空のアフリカ部族の観光用儀式を再現してるように思えるからだろう。
こうして聞き通すと、次々と仮面を替える京劇を演目を想起させて、不気味でさえある。米国で生きることの不自由さを思ってしまうのは余計なお世話だろうけど。

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