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2009.08.04

CD試聴記

小説作法?で聞く

Quartuor de Saxophones de Luxembourg
ANTES BM-CD 31.9113

WILFRIED JENTZSCH
PAYSAGES
THORONFON CTH 2235

GUNNAR BERG
Melos

SAN FRANCISCO CAMERATA AMERICANA
KLAVIER KCD-11093
これはお得。それぞれの時代のスタイルが記録されてるのも面白い。

小説作法?で聞く

Quartuor de Saxophones de Luxembourg
ANTES BM-CD 31.9113
今の視点からすれば、潔くミニマルにするとか、もっと音響や音色に配慮して、あるいは印象主義的に暗示に止めて音を削ぐとか、手を加えて音を置き直したいと思えるものがある。
けれど、それも時代の姿が留めらていると思えば、これはこれで良いのだ。
最も、そう思ったのは19世紀の人が、まったくのモーツァルト風な古典4楽章形式で書いているから、ばかりでなく、一人称を思わせるからだ。
20世紀の人たちだってきっと19世紀的な市民生活者だったに違いないと思うが、どんなに語り口を変えても彼らは三人称でしか書けていない。
それがどんなに異なるか、例文を作ってみよう。
わたしが世界の中心だ
彼が
まぁそんな感じ。

WILFRIED JENTZSCH
PAYSAGES
THORONFON CTH 2235
それでホイナツカをもう少し聞いてみたいと思って選んだのが、これだった。
ソロ楽器奏者とテープによる音響作品。チェンバロ、バス・クラリネット、チューバ、バス・フルート、打楽器。
ある時代を留めてるので記憶が揺さ振られる思いがする。
それぞれ15分くらいの作品は、いくつかに区切られて、古典四楽章形式みたいな所がある。
技術の大胆さに乏しいのかと心配になるのは、音楽が誰のものか判然としないからで、結局はファンタジーに欠ける。
それでもこうしたスタイルの音楽を演じる姿を舞台に思い浮べてみるのだ。
未開の地を探すようにファンタジーを目指して。

GUNNAR BERG
Melos
リコーダーに何故か聞き覚えがあるような音がする。退屈しないのが取り柄だけれど、むしろギターが憂欝すぎるか。
無軌道な音楽。無窮動ではなくて。咄嗟の思い付きを話す駄ぼら噺のような、映画なら「気違いピエロ」みたいな。
そこにどんな叙情性を聞くかは各自の自由だ。ホルンボーに感じた音の好みに近いけど、使い方が違うのか。と、言う訳で音を加えて想像すると理解しやすくなる、要らない音を削いで書いてる訳だ。
名付ければ、むしろ親しみ方が知れる。だから名乗らない書き方をする。
残念だがモニターで見たジャケットがキレイだった。

SAN FRANCISCO CAMERATA AMERICANA
KLAVIER KCD-11093
これはお得。それぞれの時代のスタイルが記録されてるのも面白い。
CARLOS FRANZETTI:Concerto Del Plata
第一楽章は幾分スペイン風、ギター協奏曲だから以下の楽章でもロドリーゴを意識してるようだ。第二楽章のミロンガはタンゴを思わせる、ショパンのマズルカが踊りのためでないような意味で。第三楽章は表題をどう訳すかで感じ方が異なりそうだ、平原、平野、草原、荒野。
CARLOS GUSTAVINO:Jeromita Linares
これは時代錯誤なほど、とても愛らしい音楽。歌曲やピアノでしか知らなかったグァスタヴィーノの腕前。ギターと弦楽合奏の歌心。
MANLY ROMERO:Spirals
トッカータ主題のピアノ協奏曲で、いくつも引用を盛り込んでるようだが、どうにも借り物に止まってるような消化不良が残る。
原因はプロットを考え過ぎたのだろう。音の身振りに自由が無い。響きやリズムの面白さを見付けたなら深化させるはずだが、引用にはそれがない。となると、それが必要だったのかリアリティが疑わしくなってくる。
LEO BROUWER:Concerto Elegiaco
もう現代の古典の部類だろう。ギター協奏曲であることを忘れるくらいオーケストレーションがツボにはまって憎い。というか、冒頭の協奏曲と比べるとスタイルの進化が一目瞭然、余裕綽綽と上手い余韻を醸してる。
ALBERTO GINASTERA:Impresiones de la Puna
フルートがケーナを模倣する作曲家18歳の作品。ヒナステラ、どうしてなかなかのカメレオン作家で地元の後進らの評判はすこぶる付きに悪いようだから、観光土産扱いされてると思えなくもない。
このアルバム、演奏については好みが厳しく分かれよう。それといくつかノイズがある。

書くための技術に乏しくとも、聞くための技術は持ち合わせてると自負してきた。
冒頭の一枚は気休めのつもりだった。が、出会ったお陰で、20世紀以前の作品を聞く必要を強くした。我流独学は仕方ないとしても自家中毒を薄めるために、消失点をもっと遠くへ持つべきだろう。

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