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2009.08.15

CD試聴メモ

Samuel COLERIDGE-TAYLOR
24 Negro Melodies

EVELYN CHANG ・ POETS FROM THE EAST

Schulhoff・Konzert alla Jazz

Festliches Vorspiel(Ouverture)
Konzert fur Klavier und kleines Orchester op.43
Konzert fur Altsazophon und Orchester
Suite fur Kammerorchester op.37

Samuel COLERIDGE-TAYLOR
24 Negro Melodies
うわぁ、これ楽譜探してみよう。
Frances Walker の弾くピアノはペダルに少々難有りで音が流れてしまう、そして時々なにかが反響してカタカタと音を立てる。さらには窓が開け放たれてるとか。
作品はスコット・ジョプリンのラグタイムよりも間宮芳生かと思うようなアイデアで書かれてる、20番とか。
出発はフィンランドのロマン派にありがちな幾分粘着質な発想と穏やかさの同居した素朴な音楽で、後半へと進むほどに伸びやかになって行き近代的なバラードかと思えるけど、スイングするには未だ早かった時代の雰囲気も味わえる。
22番からはフィールド・ハラーズか。ノイズが教えてくれた、ベースと打楽器など加えれば、なお愉しかろう。
ロマン派的な作風より、こっちの方が重要だろう。

EVELYN CHANG ・ POETS FROM THE EAST
ジャケットは、吹石一恵?と一瞬見紛う、色使いも気になる仕上がりだ。
さてスクリャービン作品11の前奏曲集、煌めきはこれで良い、けど、はかない音楽だなぁ。こんなにも大音量で演奏されると却って怯んでしまうものなんだね。たしか人妻との逃避行で新境地を開拓した記録だったはず。そうした風景としての自然は見えてこない。女性が弾くスクリャービンというのもおかしな具合だな。演奏が巧ければ上手いほどに作曲家の偽りの心が炙り出される、主題と終結音の関係が怪しい、といった具合に。それで後にショスタコヴィッチやカバレフスキー、パルムグレンらが書法に勇気を得たろうことは明白。
Ma Shui-Longの「雨の波止場素描」てのも短い。港に打ち寄せる底揺れのようなリズム、雨の仕草がスローモーションで描かれてる中に突如、閃光が走る?幽玄な山水画を思い描くもよし、フィンランド・ロマン派のような印象主義を思っても良いだろう。しかしトッカータ風の「参門」は、どうした訳だろう、ドビュッシーを圧縮したか。
Dobrinka Tabakovaの作品はさらに(?)短い。「夜想曲」と「旋法練習曲」。ドローンを書いてるのか、オスティナート練習なのか、点描主義とはちょっと違うだろうけど、未だよく見えない。前の作曲家同様に雨の日のターナーの視力が必要なのかも知れない。練習曲の特有な変拍子がオルゴールみたいで可愛い。旋法とリズムの組み合わせが古代ギリシア的にも聞ける。もっとつぶやき風に弾いた方が面白そうだ。
Leonid Desyatnikovは、ここに並べると毛色の違いが目立つ。シンプルにメロディを聞かせる。結局はそれも点の打ち方と言われればそれまでだが。
悲歌の内に秘めたリズムを解き放してやりたくなる、モノローグとしてのタンゴ。おどける仕草の狂おうしさの悲喜劇。ちょっと苦い、想い出のひとときと、小さな希望は、映画音楽から?

Schulhoff・Konzert alla Jazz
eloquence盤。作風見本として手頃。
ひねってあるけど多彩な分、未消化感も否めない。それだけに興味が尽きせない。
Festliches Vorspiel(Ouverture)
Konzert fur Klavier und kleines Orchester op.43
Konzert fur Altsazophon und Orchester
Suite fur Kammerorchester op.37
序曲? あれ、こんなにオーケストレーション巧かったんだ。怒濤の勢いと瑞々しい音の洪水、どんちゃん騒ぎの喧騒を仕組んでるけど全体は変奏曲だろう。和声の厚みは望めないが打楽器がふんだんに盛り込んであるし管楽器も華やかに活躍する音楽。主題シグナルが気になる、何の序曲なんだろう?
ピアノ協奏曲は、ラヴェルはじめ20世紀初頭の音楽を再構成して、この形式に収めました、て感じの前半、象徴主義的な処理が神秘主義的にも聞こえる循環主題が後半で、ジャズからジプシー風へってのも、短く締括るのも、それなりで、もっと洗練させる時間があって欲しかったな、大きな形式に挑戦するための。フランス流の印象主義が、ここではユダヤ的に響くから退廃音楽なのか? 弟子は誰だろう。
サックス協奏曲は、原曲はホット・ソナタで、ピアノ伴奏をソリストが心憎いオーケストレーションをかましてる。ソロが主役であるためだけじゃなく、打楽器も金管楽器も大胆に、現代的に割り振りされてビッグバンドのようだ。
組曲は、当時の最新流行を融合させ、なおかつ演奏会の舞台で演奏者の技巧を満足させる音楽を目刺してたらしい作曲家の配慮がここにも伺える。当時のミュージックホールがこうだったとは想えない、ユダヤ的よりもスラブ風な。
おまけとして、交響曲2番から対照的な(?)サックスやバンジョーが登場するスケルツォと、ハイドンかベートーヴェンの古典形式のロンドが収めてある。スケルツォのティンパニーが不思議なテンションを底上げするのも、和声の厚みも、意外で面白い。ロンドの古典主義が、バッハを復活させたメンデルスゾーンを想わせもする。

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