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2009.09.10

鮎川信夫『私のなかのアメリカ』

鮎川 信夫『私のなかのアメリカ』
頭のなかの幽霊、ではない。実に攻撃的な反ソ的言論に彩らているのは今より四半世紀以前に書かれたからだろう。私のなかのアメリカ病。現実的な冷戦がまだ熱く横たわっていた時代の文章だからだ。
この中でも、戦前と戦後では隔世の感があると著者を嘆かせる社会変化の激しさ。それはまさに今を生きる我々が感じるコトバで、著者の言論が現代に於いては間違いなく隔世の感がある、昨日の世界を記録しているのだ。
そして、英米の書誌の継続的な講読者であったからこそ、既にその時代にあって、ネオ・コン思想を精査している。イラク戦争がなければ日本でジェームズ・ファローズやノーマン・ポドーレッツ、アーヴィング・クリストルの名を知ることは決してなかったろう。
そうした意味では著者の先見の明と言える。ただし著者の出発点にはソルジェニーツィンがいる。

ここで白状しておこう、実は勘違いしてた。
タイトルを見て著者名を見て、すっかり思い込んでしまった。そして、まるで遺書であるかのようなロング・インタビュー「世界をどう見るか」を読みながら気付いた、こんなシニカルな言葉遣いを中桐雅夫はしない。同じ同人だったけど、二人の思想の表現には相容れない所があったことをおぼろげに思い起こした。
そうして次章「アメリカ雑誌紀行」に、上のような思想の片鱗を読みながら、常盤新平は衒学的じゃなかったと吐息が漏れる。
詩人でもある著者は、社会や言論の質が落ち、需要が変化したことを嘆くがため、敢えて衒学的に多種多様な用語を紊乱するかのようだ。
もちろん注意深い読者なら、民主主義も細分化され、保守派も例外ではないからネオ・コンが台頭してるのだと読み取るのだろう。

肝心の表題にある「アメリカを読む」は、アメリカに関する時事コラムで、時代的な深みは変化したかも知れないが、取り上げられている事柄は故人をめぐるもの以外は、今も変わらない問題ばかり。だから「テレビ・メディアの現況」という分析記事の解説に今日的価値がある。
さて終章となる「コラムニストの椅子」に「怪談」というがある。詩人仲間の田村隆一と暫らくぶりに再会した話で、いかにも内田百けん的な発想だ。(熱心な読者でないのにどれを読んでも最近は必ずと言って良いほど内田を思い浮べてしまう。)
また、この章のはじめに置かれた「THE MOMNT OF TRUTH」に日本の私小説を感じた、この場合私小説は太宰を指す。近代日本の言語芸術がそうした舞台で演じられていたという意味で。そこでは技法やアカデミズムは眼中にないに違いない。

見付けたタイムカプセルから玩具がごっそり出てきた感じではあるが、細部を吟味すべき内容もある。なにしろ既に一世代が過ぎてるので、どこもかしこも上塗りしかしてないのだから。

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