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2010.02.07

CD試聴紀

MOMPOU/Cancons i dances・Ballet
Adolf Pla

MALCOLM WILLIAMSON
COMPLETE WORKS FOR PIANO
Antony Gray

Jesus RUEDA : PIANO MUSIC
これまでAnanda Sukarlanという物凄く見事なピアニストを知らなかった。

STnchinsky:Piano Sonatas・Sketches
MARCO POLO盤。

UDO KASEMETS
PYTHAGORAS TREE
WORKS FOR PIANO

MOMPOU/Cancons i dances・Ballet
Adolf Pla
作曲家の未亡人もなくなってからの録音で未出版のバレエという小品集が出た。
「前奏曲とフーガ」に対して「歌と踊り」という形式を取ったのだろうと考えてきたし、作曲家の意図する音は録音された自作自演で耳に出来る。
ここで演奏者は作曲家とは異なる速度で楽しげな雰囲気を通り越して、にやけた感じにさえなってるのは、スコアリーディングによる譜面からの解釈だろうか。メロディがきれいに浮き出ているのは良いけれど味付け方が、耳新しい。魔法は消え、不完全な省略形が姿を現わす。
英雄的であったり悲劇的であるようなロマンティクは予め存在せず、明快で、猥雑さも削がれた、平明な音楽が響く。
バレエの前奏曲は「前奏曲6番 」そのままで、全体は「MUSICA CALLADA」を先取りする連作短篇集のような小品からなり、終曲には歌が付いている(これのためにわざわざ購入する必要はない)。
古い文献をひもとくような演奏、そして盤にわざわざ印された左手のイラスト、アルバムに副題として添えられたla ma de guido(左手のために)は、「前奏曲6番」が元はバレエの前奏曲であったと知らせる。
「歌と踊り」同様に「前奏曲」もそれぞれの時期に様々な状況で書かれたと告げるためのアルバム。

MALCOLM WILLIAMSON
COMPLETE WORKS FOR PIANO
Antony Gray
奏者は解説で、作風は時期によりいくつかのカテゴリーに分けられる、と言う。都会への憧れがその根底にあるのか、生涯さえ左右したのではないか。
連作小品集「旅日記」の、到着と出発という形式がやがて形骸化してしまう過程にそれを追うことが出来る。
芸術作品と呼ぶよりは、テレビのための音楽と呼びたい。しなやかに描き取られた一瞬が描写され見事だが、ソナタにも見られるように作品の魅力としては何かが欠けてストラヴィンスキーよりもむしろカセルラを思わせる。
2番のソナタがジェラルド・フィンジの想い出に捧げられたのは、1番がFで今回がGだからに過ぎないだろう。無調もしくは十二音技法は調性からの無重力への脱出にはならない。
都会への憧れは、保護領から女王の首都へ向かわせた(ポスト・コロニアルな興味を引かれる)が、飲酒を友として遂に書き上げられない作品を増やし毀誉褒貶が人生を飾った。いわゆる宮廷の名誉はブリテンが進言したというのも何やら象徴的だ。
オルガニストとしてメシアンに精通していたのは作品表現においてのポイントだ。作品は第一期にあたる頃のソナタ1番と5つの前奏曲(これらからは運動とイメージが湧く)、それに「旅日記」Naplesでの都会の風情をスケッチしたものが巧み、特に鉄道のせわしなさの表現は定点観測を高速再生した映像のようだ。

Jesus RUEDA : PIANO MUSIC
これまでAnanda Sukarlanという物凄く見事なピアニストを知らなかった。
ピアノソナタとメフィスト以外は小品で、聞くには集中力散漫で、書法の精緻さに圧倒されるが、聞き進めるうちに存外な退屈を覚える。
きっと、こうした見事なプロの演奏技術を要する作品はこども向け作品程度の技量しかない私の演奏欲をそそらないためだろう。
または、これ以上も音の奔流を続けられては聞いてる側がたまったものではないからだろう(もっともそれには録音の問題もあるだろう)。短いのもそのための配慮と受けとめるべきか。
しかし、これは専門家のための音楽で、だからこそ彼らにどんな訓練が必要かを知らしめるための作品と言える。
この人の旅日記でもある 24 Interludes からは、ピアノではなくてキーボード向きの音がする。
プレイヤーピアノでは素敵なマルテラートは出せないか? 一風変わった書き手ではある。

STnchinsky:Piano Sonatas・Sketches
MARCO POLO盤。
ロシア革命前に20代で夭折した革新的書法の作曲家というbioはwikiで。
ソナタには面白い形式感を覚える。
スケッチは色々と複雑な要素を試みてるがオスティナートの練習帳と呼べそうだ。
作品のほとんどがネットにパブリックドメインとして登録されてるが、演奏には注釈が必要だろう。ちょうど先頃ソナタの日本版が出版された。

UDO KASEMETS
PYTHAGORAS TREE
WORKS FOR PIANO
エストニア生まれカナダ在住の、マルテラートから内部奏法を含めた静寂までの音を往復する独自システムで構成された環境音楽のようなアルバム、と思うのは7つの作品の書かれた30年の時間差を感じないからか。それでも年を重ねて音に丸みが出たか、と、思いきや、である。
見る者を日常から強制的に引き剥がすコンセプチュアル系アートの不愉快な唐突さを感じる。
つまりは、人間が聞くためのでない音楽を人間が演奏するインスタレーションか。

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