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2010.03.16

読了「挑戦するピアニスト-独学の流儀」


金子 一朗『挑戦するピアニスト 独学の流儀』

詳しい経歴は、アマゾンで確認してください。いわゆる、二足の草鞋を履いている人ですが、プロデビューが40過ぎ。どうやったのか?という興味で読み始めたが、ピアノ演奏のために、楽曲分析(アナリーゼ)を最重視して、ピアノに触れないで(触れる時間が無い!)練習する極意を解説。 その方法論が、面白い。 和声に基づいて、楽曲を分析、音形(パターン)を探し、楽曲の構造を読み取り(譜面から構造を再構成する)、合理的な運指を考える。 考えてみれば、当たり前だけれど、音楽理論とか全く知らなかったので、スゴく新鮮。 この本では、『何となく気持ちいい音』とかは有り得ない。すべて、ロジカルな説明がつくし、そのためにどう弾けば良いかを考察する。指の何処を鍵盤に当てるつもりで弾くとかまで考える。 問題に対して、その構造を分析して、問題そのものを解釈して、解決に導く。 これらが、素晴らしい演奏の陰で行なわれていること。 中々、知的好奇心を満たしてくれました。さすが、数学的。 ただ、ピアノが弾けないので、分析とかも、それ自体ではサッパリ分かりませんでしたが。

ピテナでの連載(今は休載中か)
ドビュッシー探求 | ピティナ・ピアノホームページ
ご本人のサイト

忘れてた。この目次だけでも、何を重視して、どのようにやっているのかが分かる。

Amazon.co.jp: 挑戦するピアニスト 独学の流儀: 金子 一朗: 本より引用:

目次

1 グランプリまでの道のり

1-1 音楽にかこまれて
1-2 中学までのレッスン
1-3 独学し続けた高校大学時代
1-4 空白の社会人時代
1-5 指を怪我する
1-6 コンクールを目指す
1-7 ピティナ特級最初の挑戦
1-8 新たな気持で
1-9 2度目の挑戦
1-10 2005年のグランプリ
1-11 多くのリサイタル
1-12 勉強し直す
1-13 広がる世界
1-14 コンクールで結果を出すには

2 曲を仕上げる手順

2-1 音源は聴かない
2-2 楽譜の収集
2-3 演奏機会を得る
2-4 楽譜を読んで分析する
2-5 分析の実践
2-6 指使いをピアノなしで決める
2-7 さあ、ピアノで練習しよう
2-8 仕上げ
2-9 いざ、本番

3 曲のスタイルは3種類

3-1 メロディーと伴奏型
3-2 対位法型
3-3 和音型
3-4 「メロディーと伴奏」「対位法」「和音」の混合型
3-5 変奏曲形式によるまとめ

4 陥りやすい罠

4-1 指で覚える
4-2 ソプラノ星人
4-3 暗譜できない
4-4 忘れる、止まる
4-5 緊張する
4-6 うまいと錯覚する
4-7 レパートリーが増えない
4-8 好きな作曲家の作品しか弾かない
4-9 耳が一極集中してしまう
4-10 音量とスピードが暴走する
4-11 弾けても忘れてしまう
4-12 自分勝手な演奏
4-13 音色が単調になる
4-14 指が速く回らない
4-15 跳躍のための10か条
4-16 コピーになってしまう

5 弾けないときの処方箋

5-1 テンポと拍子
5-2 弾かない指の脱力
5-3 指の関節
5-4 勢いより和声
5-5 遠くに飛ぶ音
5-6 ポジションと指使い
5-7 歌ってなぞる
5-8 メゾピアノは、フォルテ? ピアノ?
5-9 ペダルのこと
5-10 曲の性格は調性で
5-11 腱鞘炎になったら

6 練習の常識・非常識

6-1 リズム練習はやらない
6-2 ハノンやチェルニーなんか嫌い
6-3 速く弾くにはゆっくり弾く
6-4 微妙に異なる音高と強弱をイメージする
6-5 ピアノを弾かないで演奏する
6-6 ピアノ曲以外のトレンドをぬすむ
6-7 留学なんかできないけれど
6-8 楽譜の指示を守ると個性が生まれる
6-9 ピアノ技術の習得
6-10 理論、音楽史、楽譜について

7 ピアノから広がる世界

7-1 ソロだけでなくアンサンブルも
7-2 伴奏、室内楽、コンチェルト
7-3 コンクールで仲良くなった友人
7-4 コンプレックスは肥やし
7-5 良い演奏で良い音楽を
7-6 音楽を奏でる素晴らしさ

蛇足だが、知り合いからの情報によると、教師としても優秀だそうだ。

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Comments

そうそう、モーツアルトは6歳で作曲を始め、ショパンだって10代で協奏曲を書いている。それを大人が解析して論理的に演奏したって良い。
自分はハチャトリアンが音楽院を卒業した年を暫く前に過ぎ、そろそろ無名な晩年に畏れを抱いたヤナーチェクの年齢に近づきつつあるので、解析するだけでは音楽表現に限界があると思う一人だ。
ただ挑戦し続ける姿勢を維持することのみが尊いだろうか?と空しく問う。

Posted by: katute | 2010.03.16 at 02:45 PM

好きなことを好きなように(自分の思うように)、出来れば、良いのではないだろうか。この本、読んでみると良いよ。

Posted by: 本人 | 2010.03.16 at 03:31 PM

業務連絡:言い忘れたけど、図書館で借りたので、そのつもりで。

Posted by: 本人 | 2010.03.16 at 03:31 PM

意外な気がするが、教育者としてのショパンを高く評価している。ドビュッシーは連載で解説をするくらい。
自分は、この人が楽譜を分析するように、真剣に小説を読んだことがあったかな?

Posted by: 本人 | 2010.03.17 at 03:27 PM

十二音技法の徒ブレーズのライバルだったバラケの評伝を読む限り特に自分のドビュッシー感を修正する必要はないと思えるし、ショパンに限らずバッハさえ教育的見地(?)から作曲法や音楽の在り方を明かした作品作りなどをしてる。
作曲という行為は発明かもしれない。音楽はある種の器かもしれない。
みんなそう思ってるんじゃないか。
ただ書かれていることを再現してもダメで、何かしら自己の意思が必要で、方向を持った行為としなければ聞いていてツマラナイ。
形式や技法もそうだけど、時代の様式美がある。
芸術と需給、そんなバランスも。

Posted by: katute | 2010.03.19 at 11:59 AM

ドビュッシーとギリシア・ローマの古代遺跡などを結び合わせようとするのは何故だろう。
ドビュッシーをアナクロ人間と言いたいのか。
ピアノでは味わえないがドビュッシー音楽の神髄はユニゾンの愉しみにある。

Posted by: katute | 2010.06.02 at 11:12 AM

ドビュッシー再訪
Dover Publications,Inc.のソナタ集を入手したのでPHILIPS 442 655-2 DEBUSSY・CHAMBER MUSICを聞き直して発見したのは、ギリシア・ローマ時代の文物への興味ではなかった。
作曲家の内包するリズム感、生涯求めていたものもそれに違いない。精神世界の深化ということもあるだろう。
けれどそれは結果伴ったので目的でない。
初期作品である弦楽四重奏曲はカノンやフーガというよりミニマル・ミュージックの萌芽としてのオスティナートだ。しかしそこにはヴァリアントの試みがある。
彼の転調しない音楽というのは、基音を据えることであって変化しないことではない。
ソナタを聞くに連れて彼のダンスを、空間を自在に泳ぐ作曲家の姿を思い浮べる。
日常を舞台へ持ち込んだようなパ(バレエのステップ)で空を切り、足をちょこまかさせる。ディオニソスか牧神か?分からないが彼は踊る、躍る、舞踏(おどる)。
空気か空間を切るようにして不思議な独特の呼吸でスイッチョ、スイッチョ。タタタタッ。
そして譜面の持つこの無愛想さ。ラヴェルの愛想の好さと比べてしまうと、以上のすべてを見失ってしまいそうだ。
(ストラヴィンスキーのスコア・エクリチュールと比べると、その個性は際立つ。)

Posted by: katute | 2010.06.08 at 12:30 PM

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