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2010.10.09

CD試聴記

Esa-Pekka Salonen / Los Angeles Philharmonic Orchestra
CLAUDE DEBUSSY :
Nocturnes
La Damoiselle elue
Le Martyre de Saint Sebastien

LOS TANGUEROS
EMANUEL AX・Pblo ziegler

SONG TO MY LOVE
Bulgarian Songs and Dances for Solo Bassoon and Piano
MARIA JELEZTCHEVA WIDHABER
TANIA TACHKOVA

street songs
THE KING'S SINGERS AND EVELYN GLENNIE

Brooklyn Rider
Dominant Curve

Esa-Pekka Salonen / Los Angeles Philharmonic Orchestra
CLAUDE DEBUSSY :
Nocturnes
La Damoiselle elue
Le Martyre de Saint Sebastien

何も起こらない音楽を追求してた頃、これらは喜びを与えてくれただろう。あるいは東洋趣味を醸し出す西洋音楽を面白がっていた頃なら。
ドビュッシーのオーケストラと声楽の絡みを知るのに、これが好いと思った。あるいはサロネンの腕前が作曲家が秘めていたオーケストラ作品の弱さを露見させてたのか、作曲家は何故かここでは、こうも個性が弱まり、あるいは借り物で埋めようとするのだろうか。ラヴェルに飽き足らずディーリアスさえ聞こえてくる気がする。あるいはそういう時代だったのか、誰もが似ていて誰彼と区別するまでもないひと繋がりの時代精神を共有していた頃の例証として。
ドビュッシーへの興味はしばらく持てそうにない。『わが名はフランソワ』で読んだドルレアン公の人称の与え方が面白かったので、それを歌っているならと思ったのだが。

LOS TANGUEROS
EMANUEL AX・Pblo ziegler
ブエノスアイレスよりもパリの薫りがする二台のピアノに編曲されたピアソラ・アルバム。
こうして音だけを聞くとスケルトン仕様のスポーツカーのように随所に古典的作曲技法が盛り込まれてるのが透視するように覚る。楽器の音色を替えてしまうと、無駄を削ぎ落としたようにも思えるが、それが見事にタンゴに調和して、ホントはもっと女性的な泣きも入って良いんだろうけれど。そして演奏者の腕前が、2台のピアノであることを忘れさせるように、さながら呼応する二頭の野性馬が互いに優雅に鍛え上げられた筋肉美を競って披露するように平野を馳駆する。
行動する作曲家ピアソラの音楽をこういう風に考えたことが無かった。実に見事な、優れた分析だ。

SONG TO MY LOVE
Bulgarian Songs and Dances for Solo Bassoon and Piano
MARIA JELEZTCHEVA WIDHABER
TANIA TACHKOVA
スキップするような足取りで始まるコミタス風のダンスソング。作曲家による音楽は西洋の作曲理論に合わせた清潔な佇まいをして、伝承曲の果てしない無辺な響きはバルカン半島の地理的な歴史を思い起こさせる。
どこかに打楽器があればなお良かったかも知れない。聞く側がソプラノが歌いだすのかと思って固唾を飲んで待っている、そんな瞬間が捉えられていて微笑ましい。

street songs
THE KING'S SINGERS AND EVELYN GLENNIE
噂のSTEVE MARTLANDを聞いてみようと思った。噂どおりに良く書けてるようだ。
でもバッハよりは、虫食いスケールのリズムを利用したストラヴィンスキー「結婚」を思い出した。
打楽器は主にマリンバが使われ、ツボが外れてるような声楽を包むでもなく共に響き合うでもなく、現在からするとどこか食べ足りない感もする。

Brooklyn Rider
Dominant Curve
ジャケットやスリーブのアートワークが気になったのと、ヤノフ=ヤノフスキーの新作が入ってる。
プログラムは、弦楽四重奏団の第二ヴァイオリンが書いたスケッチ風の小品集、日本の尺八奏者によるエレクトロニクス(ちょっと雑な仕上がりな印象がなくもない)も導入した“うつろい”のイメージ、そしてドビュッシーの弦楽四重奏曲。後半はヤノフ=ヤノフスキーのオマージュ(弦楽合奏としても聞いてみたい)、そしてケージのBGM風の編曲もの。
ドビュッシーの演奏は、それまでとメリハリを付けるにしても艶が無さ過ぎ、ここまで聞き進んできた集中が削がれた。アゴーギグとデュナミークの調整が巧くない、もしくはドビュッシーの罠なのか現在よりも色彩感に乏しく、凡庸に響く。
(スコアを追うと、今ならもっとこう書けるだろうと欲求が高まりドビュッシーの例の踊りとユニゾンの悦びが溢れるのを感じる、またショスタコヴィッチの書法を見ることも出来る。つまりドビュッシーも勘違いされてるってことだ。)
多彩なジャンルを演奏できるとアピールしたいからテーマ追求が疎かになり全体に無国籍な響きを求めるだけな印象が残る。
それでも聞いてしまうのは古典的評価を受ける作曲家等の作品が訴える力を失わないからだろう。

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