ウィリアム・ブリテェィン-キャトリン『秘密の国 オフショア市場』
著者はグランド・ケイマンに2003年5月にやってきて島の祭り見物がてら旅行者を装い島の歴史を振り返り、オンショア/オフショアの生態系を代表的な事例を交えて解説し、冒頭時刻へ戻ってゆく。花火を打ち上げて派手にバカ騒ぎをした後の虚しさしに取り残されて。
映画しか観てないがカール・セーガン「コスモス」のような記述になっている訳で、なかでもとりわけ第5章は執筆動機であるヴァルター・ベンヤミンのパサージュ論(アーケード論、日本のそれは何だろう)に基づき神話時代から現代までの人類を俯瞰する意欲的な哲学エッセイであり、歴史過程における知識と経験を即座に吸収して現時点を俯瞰するためのもので、金融スキーム解説の間に挟まれた間延びした間奏曲ではない。
だが残念なことに訳者らにベンヤミン読者はないらしく肝心な哲学部分が欠落した日本語記述となっているようだ。
また本文中の引用箇所についての指摘がないのも翻訳作業として精確を欠く。
間奏曲を補うためモフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』と袴田茂樹『沈みゆく大国』を併読した。
精神が成熟し醸し出した金融スキームであってみれば、スキーム自体を語ることにはさほどの意味は感じられなくなる。併読の前者は国際的な金融スキーム好きにも読んでもらいたい内容が彼らの望むとは逆方向から開設され、後者では民族性や宗教も交え、抽象概念と具象概念の受容について丁寧な考察が行われている。
なので、監訳者あとがきで、開発銀行経験者としての目撃談(無駄な投資や社会的サボタージュなど)が述べられるが、それが悪なのか正義なのか、それすらなかったように思え、正邪の判断に欠ける。
昨今、正義が白熱する教室があるそうだが、それは稀少価値に基づく憧れを表すのだろう。ならば正義に投機してみるがいい。
そうしたことから併読が必要なのは、訳者らに本書を読み込めていないと思えたからだが、実際に中学生レベルの日本語が並んでいるので下訳かと思えるのは、翻訳者の責任ではなく編集担当や出版社のレベルの問題であり、改訂版が出ていないのは現在も読み込めていない日本の現状を表明しているものと思える。
原題はOFFSHORE The Dark Side of the Global Economy
オフショア市場を地図で確認するほどの熱心な読者なら昨今のデフォルト騒ぎの舞台である国や地域が近似してることに気付いてるだろう。それを著者は既にプロテウスに準えダークサイドと呼んでいるのだ。
思えばルイジ・ノーノは晩年プロメテウスに関連して一連の作品を発表したがどれも静寂がテーマだったのは、プロテウスのアンチテーゼだったのかも知れない。聞こえないような微かな音に破滅の足音が潜んでいるというような、それを打ち消すための活動を促すようにタイトルを付けたのだろうか。
本書を読みながら脳裏にはティプトリーJr.の長編『輝くもの天より堕ち』が立ち上がっていた。
それはまた、歴史の輪(トーラス)を走り回るような感覚を伴い、ボーマン船長の孤独なジョギングを思わせた。
余談だが、
スターウォーズの神話構造に影響したジョゼフ・キャンベルを手狭な意見として手厳しく批判したカミール・パーリア『性のペルソナ』を読んでおくべきなのか。
ラビ・マービン トケイヤー『ユダヤ5000年の知恵』に島に寄港した乗客たちの振舞いを説く場面があった。どのタイミングで下船し島を愉しみ、戻ってくのか来ないのか。そうした選択肢を詳細に並べ投資リターンの様に論じていたように記憶する。
そうした目で見た場合、下記はどう見えるのだろう?
また、その場合に思い出されるのは、マッカーサーが言ったという「日本人は12歳」だ。これには前後の文脈があるとか、16歳を認めさせたとか、無数のウェブサイトが存在する。何に反論しているのか見定めるまでもないが、当人らには受け入れがたい真実が示されているのだろう。ありたい自分と現実の自分の乖離を受け入れることが出来ないからこそ、そう呼ばれたのかも知れない。現代語に訳すなら「日本人は中二病」だろう。これを「高二病」と言ったとて何の差異があるのやら。。。
租税条約に関するプレスリリース:財務省
沖縄をタックスヘイヴンに(2)
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