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2010.11.11

情報消費の現場で

書店が新刊と漫画しか置けなくなって久しい。売れるからではなく回転が速いから、返品を急ぐあまりに平積みが出来ないと言われるのは既に20年以上も前から。
ネットやケータイが日常に浸透してからは、こうした現象が舞台を替えて起きているのを奇異な目で見てきた。
そんなにも多くの情報を発信し消費し続けるのが当り前になっている。
そうして情報は自分の傍らを素通りするものになった。
コンテンツ産業と名付けられ金銭的価値を見出だされるほどに、それは更に加速して行くように思われる。
実際こんなにも多くの情報コンテンツが必要なんだろうか。消費できなければ産業として成り立たないはずだが、ここでは購買へとすり替えられているように思える。
所有したつもりなのだろう。
では実際の所有との差異は何か。言うまでもないので省略するが、実践出来ないでいるのが現状だ。ならば何故そうした実践力を備えられないのか。
古典に学べというのが正に、古典的回答なのだが、それに価値を見出だせない/ださい、のが現在だ。
安近短がしばらく前に消費スタイルとして特にはレジャー産業で指摘され、社会用語の便利な解説語となった。
歴史、地理、経済、文化、それらが総て安近短の範囲で納まってしまう。なので現代人は日常を30語以下で過ごすと聞いても驚きようがない。
日常消費されるのは所有できると思い込める30語以内のパッケージで、それを更に磨き上げ多彩な意味を付加し深化させたものとなるのだろう。消費する側の深度の差により付加された意味内容の示すものが異なるにも関わらず購買を所有と結びつけることでそれを問題とするのを回避しているのだ。
それでいて狭い範囲を深化させ続けながら、それだけを特化させていく日本的な改善が起こるのもそのためではないだろうか。

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Comments

所有しない消費

情報やサービス産業の伸び、経済的には所有からの移行。
ライフスタイルの変化としては、自身が身に付けないことを嗜好し指向するのか。
そうなると、所得税を課すのはピンハネだが、消費税には根拠が付くのだろうか。
一切の所有を拒否する。あるいは所有することを拒否された世代から次に何が生まれるか。
さらには、日本からの追放か削減を施行されてる今の世代はあと何年生き残れるのか。

ケータイ文化は所有を許さない。
日本は国の所有さえ消費しようとしてるのか。

ある日、電車のドアが開き二人の男が別のドアからそれぞれ乗り込んで空いていた席へと向かった。大柄な男が先に席に着いて周囲が見えない目で見渡す。もう一人の男は茫然とその前に立ち尽くし、そうした状況が理解できると別の車両へ歩み去る。
その情景をどこかで見たことがある。
チャップリン映画で、だ。
それはそうした時代の記録として、告発としての記録として映画に写されたのだ。
現在もまたそうした時代を迎えているのだろう。

Posted by: katute | 2010.12.10 at 05:17 PM

「選択と集中」からの逸脱、足場を築くことへの拒否。
執着と取り違えているのか。

Posted by: katute | 2010.12.21 at 01:45 PM

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