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December 2010

2010.12.30

落穂拾い:2010年に聞いたCDから

今年は環境の変化から音楽に没入することを恐れて集中力を欠いたため多くの発見は出来なかった。ただ記憶に残ったものをメモしておく。

前半はストラヴィンスキーの三大バレエと歌曲のスコアを入手し自宅にあるCDを洗い浚いおさらいした。歴史的には既に報告されているだろう自分なりの発見は別の機会にまとめよう。

MOUSSU T E LEI JOVENTS
PUTAN DE CANCON
アナログとパワフルなモダン楽器の融合
フランス語を歌うのは植民地出身だから

GHEORGHI ARNAOUDOV
THE WAY OF THE BIRDS
ブルガリア出身の作曲家によるサウンドエッセイ。録音が尻切れな感があるも気になる音楽だ。

JEAN DERBES orchestral works
DEUX NOCTURNES
ADAGIO
GENESE
PRAEMONITIO PASSIONIS
MANU TARA
トラック3までを聞くと以降が重複するように思えるが、使用技法もスタイルも変わらないのであって完成度は後半も同じ。気配が非常にうまい人だ。

SONGS OF YESTERDAY ・DAN LAURIN
カール・ドルメッチが1939-65年に委嘱初演した中から英国らしい典雅な雰囲気の作品を選んだ様子。
全音リコーダーピースのHERBERT MURRILLのソナタの演奏が聞きたかったので。奏者はバロック・ルネサンスの約束どおりアーティキュレーションの変更と装飾音を加えて演奏してる。

GORDON JACOB
CHAMBER MUSIC WITH RECORDER
これも同じく「組曲」が聞きたかったので。こちらは楽譜どおりの演奏で少し表情が硬い気がする。
それにしても英国風ユーモアなんだろう、せっかちだけど微笑ましい音楽だ。

NORDGREN TRANSIENT MOODS
意外な作品だ。ポーランドのキラールを思わせる、もちろん健全な響きが支配的で、そうした舞曲を懐かしむことで神話的な時代や先祖を思い出そうとするのだろう。

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2010.12.27

読書メモ: アレックス・アベラ『ランド 世界を支配した研究所』


アレックス・アベラ『ランド 世界を支配した研究所』

SOLDIERS OF REASON THE RAND CORPORATION AND THE RISE OF AMERICAN EMPIRE

シンクタンクについての、ニュー・ジャーナリズムの手法、つまり取材調査によるレポート。
自分が物心ついてからの出来事が何故あの時に起こったか、それが持て囃されたのかが解説され、これまでの世界情勢を理解するのにとても役立ち、物事の関連性が面白いほどに整然と納まっていくのに驚き、興味が尽きない。
それには、『


沈みゆく大国

』がコンパクトながらロシア・ソビエト理解で大いに役立ち、これを年頭にすれば、対立項であった米国の内情がつぶさに観察され、簡潔に記されてるとの理解に役立つ。
が、本書には付いてないが参考文献を上げるべきと思う。

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Tilo Medek:チェロ協奏曲1番

独奏チェロによる小品がふたつ併録されたcpoリリースのアルバムで初めて知った作曲家だ。
意欲的なアヴァンギャルドな作風で全編に前世紀的な独特の緊張が漲る。
古典形式への挑戦だろう。
それはまさに遅れてやって来た者の姿だ。
表紙に掲げられた“青天の霹靂”と題された絵画は、「青騎士」を名乗ってカンディンスキーが追求した色彩の変換ででもあるかにのように、己を受容器とする姿勢があり、それでいて主張を隠さない。感性というのは受身に過ぎないが、芸術にはその先がある。それを求めようと言うのだ。
作曲家は果敢に挑戦した。前進しようとしたが昔日を懐かしむように聞こえてくるのは時代の方が先へ進んでいるからだろう。
こうして音楽はもはや時代を牽引しなくなった。流行の音楽はビートを強調して胎内回帰を目指す。日常から逃れるための音楽を消費する。

この作曲家は、こうしたことを指摘するように私にそう教えてくれた。

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読書メモ: スチュアート・ブランド『メディアラボ』

今に思えば『ビーイング・デジタル』は家電芸人の基礎知識みたいだ。
話芸のジャンルとして専門知識を噛み砕いて知らせるというのもアリだろう。ツイッターなどSNSを読み続けるのも根気が要ることだし。

電子メール、存続の危機に~若者世代はテキストとチャッットへ移行

ツイッターを読むウォール街のコンピュータ~金融市場変動因子を自動分析

本書が翻訳されてから日本語環境が変わったこともありアップデートが必要(脱字が多い)。
その際、当時は見過ごされていたか注目されなかった事象が今日では重要な意味を持つようになっているので、それらに関心を払うべきだろう。

劈頭ランダムに並べられた雑多なイメージは続く章の中でショートフィルムのようにシークエンスが披露されカタログを覗くような趣があるが、やはり細切れな情報であり統合されない。著者のジャーナリストとしての振舞いが実に見事な質問を投げ掛けておきながら。
それらは、警句に満ちているがヴィジョンは描けていないのかも。

しかし、それらに現実が追い付き実現したものが並んでいるのは間違いなく、「第十一章
ブロードキャッチの政治学」の前に、グーグルもアマゾンも予言されブログやフェイスブックさえも並んでるように見受けられる。情報はフリーになりたがる。

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2010.12.24

テキストがテキストを読む、は多様化するか

電子メール、存続の危機に~若者世代はテキストとチャッットへ移行

ツイッターを読むウォール街のコンピュータ~金融市場変動因子を自動分析

ウィキリークス閲覧しやすくするソフト、アップルが削除

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東京の中小企業で働く人の、給与はいくら?

サラリーマンはどのように絶滅していくのか?

制限された情報から抽出された結果で、現実的ではないだろう。
公務員給与基準も同様だと聞けば、恣意的な任意の上位平均と推測される。
データ中央値を公表すべきでは。

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2010.12.14

読書メモ:マルグリット・デュラス『北の愛人』


デュラス『北の愛人』

見事に映像的な、記述だ。
地の文に会話を折り込みながらも情景が目に浮かぶように綴られている。
シークエンスを表す一行空き、暗転を指示する改項。
中国の男と白人の少女がフランス領インドシナで出会い互いを縛る家や家族、歴史的な習慣を語り、互いの文化の成立を披瀝する。ポルノと呼べる記述もあるが、それも折り込んだ総体としての存在、登場人物等の在り方を見つめる。
なので『太平洋の防波堤』のように冷笑的な人物の描き方でなくもっと登場人物に寄り添った描き方がされているし、『


愛人 ラマン

』より丁寧な描写で技法も一段と研かれている。
今この時の映像を書き留める、その新鮮ではかない記憶に、不思議な感慨を得る。
エクリール』でも、そうと感じたが、これは「ケータイ小説」の先取りだ。
記述に混乱と誤りがあり整合性が怪しいと翻訳者は註を付しているが、そうではない。シークエンス毎にカメラアングルを換え異なる気分と認識で情景と向き合うことを要求しているのだろう。
もしかすると、改行毎に並べられている文章はそれぞれに意味はないのだが、リミックスされ、物語を伝えるように編集を加えられた仮留めされたシークエンスだ。
何重にも重複する語り直しも、コラージュではなく、モンタージュでもなく、映画の編集というフィルムの切り貼り作業で出来ている作品。
タイトルロール用の映像も用意されてるのが何よりの証拠。

読みながらサティが聞こえていた。お洒落な音楽としてでなく、場違いな感傷として。
また、翻訳された時点よりも日本語の受容能力が深化したらしく、いくつかの単語や情景はアップデートする必要がでてきたと思う。

現在、読書中の『メディアラボ』にも同様な印象を受ける。

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2010.12.12

一次産業は原始時代か

農家を訪ねた。
その日の来意を伝えると開口一番器具の不満を爆発させた、作る側の論理でしかない粗悪品だらけで、用途に合わない設計がなされている。それは農場にあるほぼ全ての物に当て嵌まる、種子販売さえも。
では便利な用具はどこで購入するか、ホームセンターと百均で。
30分足らずの内に目に付く範囲の物の改良点が挙げられた。不便な物は廃棄物として処理すべく山積みになっている、こうしたゴミ問題を常に抱えている。
製造販売側は利益追求のため現場での利便性や労働緩和は考慮しないものらしく、トラクター修理にさえロクな制度がない。
現代の農家は江戸時代からの年貢のために奴隷労働を強いられながらも、不平不満を言ったとしても、根本的に自己の生活を改良すべく社会へ訴えでることをしないようてなづけられ押さえ込まれている。
全農は農家の倅を人質に、農家の収穫を差し押える形で、購買と出質を牛耳ってきたので、倅は搾取されるだけの農家の姿に後継ぎを断念してきた。
補助金で大規模農家はコンパニオン付き宴会を催すのだ、田植えが出来るように水田を整備して作付けしないことで補助金は支給される。働かないことへの報酬、そんな企業があるものか。

今回訪ねた先も元は農家ではなかった、話の内容から判断すると日立で製造開発に携わっていたように推察され、自費で農地購入しては日本人に限らず新規就労者を受け入れて育成している。それが初対面の挨拶となった所以だろう。
そして、だからこそ深化さすべき事柄がある、と。

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